屋久島生活の断片 / 屋久島方丈記

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2020年9月21日の「屋久島暮らし残照録・日誌編:No.031」の記事です。

台風が通過して何日かしたころ、台所に小さいクロアリがいっぱいうろつき回るようになった。多分クロヒメアリと思われる。それで昨年も出たときに使って残っていた液体の駆除剤をまた使用することにした。この液は巣に持ち帰るタイプの遅行性の毒餌で、どこに巣があるか分からないアリが出たときに使うために作られているようである。
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今年はうろつき回るのを見かけたのが三ヶ所なので、各箇所に液をプラスティック・トレーに垂らして置いた。そうしたらそれに誘われてかアリの数がどんどん増えて集まって来た。アリが液を舐めているのか吸っているのか知らないが、かなりの時間あるいは翌日になると液がなくなってアリの数がまばらになる。時間は液の量の違いもあるとは思われるが、集まって来るアリの数が昨年より多いからか昨年より早い感じがする。

液が少なくなり群がっているアリの数も減ったころ合いを見て液を追加して垂らすとまたアリの数が増えて来る。駆除剤の口コミの中に1回で出なくなったというはなしや2~3日続けたら出なくなったというはなしがあったので、巣の大きさが関係しているのかも知れない。効かないようでも2週間くらいとりあえず粘ってみるとよいというようなはなしも出ていた。そこで液がなくなったら追加して垂らすことを続けてみた。わが家では日中3日続けて液を垂らした翌日の朝様子を見たら動き回っているアリが数匹いたがあとはと動かない死骸がかなり残っている状況だった。そのままにしてその翌日も見てみたがこの朝には動き回っているアリはおらず駆除剤が効果を発揮したものと思われる。

駆除剤を使い始めた日にアリがどこから来るのかと家の周りを見て歩いたら、基礎コンクリの方に庭の土部分のどこかから黒い筋になって来ているところが3ヶ所あった。だがそこと家の中の出る場所とは符合しない。そこで基礎コンクリを登っているアリの筋を追って見て行くと外壁の下端を横方向に移動している。多分最初は台所の匂いに釣られて台所に達したかして、そこにアリの道が出来ていると思われる。わが家では5年ごとに業者によるシロアリ予防の薬剤散布などをしているからか、実施したその年や翌年はアリは気にならなかったが、2年くらいするとまたアリの道が出来るようである。



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2020年9月14日の「屋久島暮らし残照録・偏見ご免のたわごと編:No.029」の記事です。

シロアリ対策の床下撹拌ファンを設置したあと部屋の設置場所上に行くと床下からファンの作動音がかなり大きく聞こえていた。比較的高音(シャー音)でその場所付近でしか気にならないのでそんなものかと思っていたのだが、しばらくして特に梅雨どき窓を閉め切っているとき設置場所の部屋の対角のソファに座って読書をしたりしているとブーンという音がするのが気になった。湿気と木材の性質に関係があるのかも知れない。そこで業者に見てもらったのだが、見に来た季節が違ったのもあるかも知れないがどこでもこんなものだと軽くいなされて、こっちもしょうがないかという気になってしまった経緯がある。

ことしも梅雨どき窓を閉め切って読書をしていたら比較的低い音(ブーン音)が気になってしょうがなくなった。そこでまた業者に見てもらいたいと窓口に連絡した。そうしたら8月20日になって業者の仕切り役が来て、またどこでもこんなものだと軽くいなされそうになった。そこで私は設置場所付近で聞こえるファンそのものの作動音ではなくファンの振動が離れた場所に伝わって音を出しているのが問題なのだというようなことを言ったつもりなのだが、言い方が悪かったか意が伝わらなかった。

そこで翌日窓口に、作動音は比較的高い音(シャー音)だがそれを問題にしているのではない、問題にしている伝搬音は比較的低い音(ブーン音)である。取り付け位置や取り付け方法、つまり施工に問題がないか調べて必要なら対応して欲しい、ということをメモにして伝えた。そうしたら業者が調べて対応してくれるということになって、8月30日作業担当者が来て調べて対応してくれた。

ファンは床下の大引きに取り付けられていたのだが、大引きと床束に斜めに取り付けられている補強板にファンの一部が接触気味でそこから振動が伝わっているのではないかということで、接触しないよう位置をずらして大引きに取り付け直してくれた。そうしたら設置場所床上で聞こえる作動音も低くなった。そしていまの季節では伝搬音は気にならなくなったので次の梅雨どきも気にならないのではないかと思われる。

8月20日ころあるテレビ番組でマンション上階の部屋でブーンという異音がして眠れないということで、調べたら直下の地下30mくらいで地下鉄のトンネル工事をしていて岩盤掘削時の振動が伝わって来て異音を発生していたというはなしをやっていたが、それと同じようなことである。地下鉄工事はそのうち終わるが、ファンの伝搬音は対策するまで終わらないのでちょっとしつっこいかと思ったが諦めず問題提起したら改善されたようなのでよかった



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  No.266  床下撹拌ファン注文_会話の上手さに釣られて  (2015.02.16)

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2020年9月8日の「屋久島暮らし残照録・日誌編:No.028」の記事です。
      
台風10号は猛烈な強さで来ると発生直後から注意喚起されていて、屋久島直近を通りそうだということになって、TVで4日中に対策するようにと盛んに言っていたので、わが家では4日の夕方に窓と雨戸の戸袋出し入れ口に防風板を取り付け、家の周りの飛散しそうなものを片付けた。早すぎるかなと思ったが5日の朝には雨が降ったり少し風も強くなって来たのでそれでよかったようである。

屋久島は5日の22時前くらいに強風域に入ったようである。暴風域には6日の昼12時前に入ったようである。わが家では午後になって停電があり、それはすぐ復旧したが、15時ころ停電になってからは7日の14時30分頃までずっと停電だった。停電になってしばらくして外で大きな音がした。あとで知ったのだがわが家の7m高さくらいの木の枝の一つが高さ3mくらいで折れて落ちていた。最接近は6日の夕刻だったようである。

わが家は東西方向が長辺の長方形だが正確には長辺が東南東ー西北西方向である。今回台風が接近中はほとんど東南東の風、つまり家の東側の壁に直角方向から吹いていた感じである。直近を通過するころから風はだんだん南寄りから西寄りになっていったと思われる。

7日3時ころには暴風域を抜けたようで、そのころ小用を足しに行ったとき風はそんなに吹いていない感じだった。6時ころ起床したが台風一過という感じでときどきちょっと風が強く吹くが、いつものことと言う感じだった。平成8年(1996年)の屋久島直撃の台風と比べると今回の強さはそれに及ばなかった印象である。25年以上前のことを知っている近所の人もそういう感想だった。

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わが家には気圧計があって、気圧が下がるたびにメモリー針を動かして見ていたのだが、最低は973hPaくらいだった。後から見た進路予想図には945hPaとあったが直近と言っても離れているとこれくらい違うもののようである。
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2020年9月7日の「屋久島暮らし残照録・日誌編:No.027」の記事です。

昨年の夏ごろ私のホームページで居間の暑さ対策に苦労している記事を読んでくれた友人からメールがあった。その方面に知識経験があると思われる友人が言うことには、わが家ではあとは日差しを受けるガラス面の遮熱対策としてガラスを遮熱ガラスにするか遮熱フィルムを貼ればよいのではということだった。

そして今年ガラス戸の遮熱をガラス交換ではない方法でしようかと思っていたのだが、引っ越して来て間もないころ台所の南向き出窓だけフィルムを貼ったとき貼るのに苦労したので他の良い遮熱方法がないものかと遮熱対策をしあぐねていて時間が経って行った。


上左: 遮熱シート取り付け状況(室外側)
            上右: 遮熱シート取り付け状況(夜雨戸閉の室内側)
下左: 網戸部ガラス戸開放状態
            下右: 網戸部ガラス戸解放+遮熱シートのすだれ  

そんなとき、ある通販雑誌に窓ガラスにマジックテープで取り付ける遮熱シートが出ていたのを見かけた。ポリエステルメッシュ生地にステンレス超微細粒子をコーティングしたシートで太陽熱を53%跳ね返して室内が暗くならず、シートを張ったガラス窓では未使用ガラス窓のときと比べ窓際の家具の温度上昇が11℃弱抑えらえたとアッピールしている。それを見て取り付け簡単で効果ありそうだという気がして今回これを試してみようと即注文してしまった。

むかしエアコンをかけてもなかなか効かなかったような記憶があって、あるいはそう思い込んでいたからか、昨年までは晴れそうな日には外に斜めに日よけシートを張っていたのだが、今回遮熱シートをガラスに貼ってからはまず日よけシートを張らないで効果をみてみることにした。わが家では日中はガラス戸を開け網戸にして通風をよくして過ごしていたのだが、ガラス戸に貼った余りのシートを少し幅が足りないながら網戸の内側にすだれ状に垂らしてガラス戸解放部分も8割方遮熱シートがカバーするようにした。

ガラス戸解放では居間の室温は外気温と同じくらい上昇するのだが気分的に通風している方が好きなので我慢できると思われる日はそうすることにした。また今日は暑くなるという天気予報があった日には部屋を閉め切ってエアコンをかけることにした。そして今日はかなり暑くなるというある日、閉め切ってエアコンをかけて遮熱シートの効果を確認してみた。エアコンは28℃設定にしてあるのだが、その日の最高外気温33.8℃のとき室温30.6℃だった。そのあと太陽が雲に隠れている間は外気温32.8℃、室温30.3℃が続いた。他の部屋の熱中症指数が31.1℃になったときは居間は熱中症指数26.9℃だった。エアコンの除湿効果もあると思われるが体感としては冷風の循環もあり動かなければ相当に過ごしやすかった。

その後の気温の高い日には、13時ころ外気温35.8℃、そのときの室内温30.8℃、その後外気温は下がって行くようになり西日が差すころ外気温32.5℃になったが室内温は逆に上がって31.3℃。そしてやはり動かなければ気にならないが動くと少し暑い。今年遮熱シートを貼る前、外気温が最高35.5℃(ガラス戸解放で室内温34.9℃、熱中症指数31.1℃)の日があって暑くて大変だったが、今回は遮熱シートを貼ったガラス戸を閉めエアコンをかけると動かず黙って過ごす分には問題ないくらいになっていると言えそうである。

しかし12時ころ外気温37.1℃になった日は、西日が差し込んでくる時間になったらかなり身体にこたえる感じになった。やはりこういうときは外の日よけシートもある方が良さそうである。そう思って次に高温になるという予報があった日、外に日よけシートを張ったのだが、外気温37℃の日はもう終わってしまったようで、日よけシート併用でどうなるか確認できなかった。来年にでも直射日光がガラス戸に当たりそうな暑い日に外に日よけシートを張って様子を見てみたいと思っている。



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2020年8月31日の「屋久島暮らし残照録・偏見ご免のたわごと編:No.026」の記事です。

先の国会をコロナ禍の中通期国会を主張するひともいたが延長もせず閉会しその後の野党の臨時国会召集の要求にも耳を貸さない政府・与党も様子に、私は首相の容体が理由ではなく、アメリカの情勢、中国の情勢、ロシアの情勢そして韓国、北朝鮮の情勢を分析し、今後予想されるアメリカの日本への態度の変化、米中の覇権争いの行方、中国の尖閣への動きも含めた日本への攻勢、そして韓国の反日姿勢、また北朝鮮を含め周辺国の日本へのミサイル攻撃への対応方針を検討するのに集中しているからではないかと思っていた。

政府としては、それらの今後の変化を予兆させる情報をつかんでいてその変化に対応できるように各種シナリオを想定してそれらについての方針のまとめや対処法のシミュレーションをするのに忙しいのではないかと、私は思っていた。そして私は今までの安倍政権が対外的にはうまくやっていると評価しているが、その根底にある日米関係が大きな地殻変動を起こす兆しがあって、いままでのやり方が破綻しかねない事態が予想されるから、その事態に対応できるように備えようとしているのではないかという気がしていたのである。

ところが8月首相の続けての病院行きが話題になって辞任説が取りざたされるようになって、それが8月28日現実のものとなって辞任発表となった。秋から冬にかけてのコロナ対策をまとめたのを区切りとして病気で辞任ということである。私は病気の影響について不案内なので治療をしながら首相の業務を当面することが出来るのではないかというのは無理なはなしだとしたら、これからのコロナ対策ではない国家のリーダーとしてもっと心配な日本の先行きに対する心労が病気に影響したのかも知れないと思ったりしてしまうわけである。

それにしても、対外情勢がどうなっているか。それに対してどう対処するか。そういう基本的な認識や考えがあるのかないのか、日本の先行きがどうなるのか、どうしたいのか。自分の正義ばかり主張する政治家や野党やメディアなどに高齢の自分はもう関係ないと思いつつも、なぜそうしたいのかとのその答えになぜを繰り返してその果てが確かな情勢認識から出て来た基本的な認識や考えに行き着くと思わせる存在の政治家はいないのか、野党はないのか、メディアはないのかという思いが残っているから、今回の事態にも不穏なことが隠れているのではないかと思ったりしてしまうのである。



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2020年8月24日の「屋久島暮らし残照録・偏見ご免のたわごと編:No.025」の記事です。

8月初めころ、警察署で鹿児島の交通安全センター職員による認知機能検査を受けた。当地は離島なので月一回ある週の火曜日が認知機能検査、水曜日から金曜日までは高齢者講習が鹿児島から出張して来て実施されているようである。

私は今回で認知機能検査は2度目でどんなんものか予備知識はあったのでそんなに緊張することなく受けられた。結果は100点で認知機能は、前回の96点を上回って多分満点だったようである。今回の認知機能検査の結果通知を受けて申し込んだ高齢者講習は9月に決まった。その後免許更新申請をすることになる。
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自分ではボケ防止に努力して生活しているつもりだが、その成果があってか認知機能は低下していなかったようで、これから次回までの3年間も認知機能が低下しないことを目標として過ごしたいと思っている。いまでも身体のあちこちが痛くなったり踏ん張りがきかなくなってよろけたりで身体的には少しづつ機能低下が進行しつつあるが、精神面での老化は自覚したくないものである。


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  No.413  認知機能検査_危険運転するかもと高齢者対象  (2017.07.24)
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2020年8月17日の「屋久島暮らし残照録・日誌編:No.024」の記事です。

わが家は敷地の縁や家の建っている面の庭と一段下がった庭の間の斜面にツツジを植えてある。大体が移住して来て数年の間にどこかで剪定していたときの枝をもらって来て挿し木で増やしたものだが、一部苗木を買って植えたものもある。


上左: 今回の剪定途中(手前が剪定済、向こうが未着手部)
                 上右: 2005年5月の様子
下左: 今回使用の剪定バリカン  下右: 今回バリカンで怪我した左の上腿

ツツジは造成してくれた会社のひとに石垣の隙間からの土のこぼれや斜面の土崩れを防ぐのに良いと言われたのがきっかけで植えることにしたものである。木が大きくなってからは、例年花も咲き終わり梅雨の季節が終わる7月ころにぼうぼうと伸びた枝を切る。そのあとも枝は伸びるので庭が見苦しくないように秋の終わりころもう一度切る。だから最近は花があまり咲かない。剪定は緑の植え込みの見栄えを維持するのが目的である。

25年近くたった今年も昨年剪定した後伸びた枝がぼうぼうとして来たが雨の日が続いてツツジを剪定する気になったのは8月になってからである。剪定は電動バリカンでやるのだが、全部やるのにかつては半日で済んだ、近年は午前に切って、午後に切った枝葉を片付けるようになった。今年は朝2時間で半分剪定、翌朝片付け、これを2回しないと体力的につらい感じになった。

そんな今年の出来事だが、枝を切ってこれでここは終わりと電動バリカンを下に下したのだが、自分ではスイッチから指を放していたつもりが離れていなかったようで動いているブレードが上腿に当たって怪我をしてしまった。ズボンの上から当たったので大したことはなかったが、これは今回で2回目である。昨年秋にもズボンの上からブレードを膝に当てて怪我をした。

昨年はしゃがんで剪定していたときで自分の手の振り方が悪くブレードが膝に当たってしまったのだが、今回は手指がこわばって終わったと思ってスイッチを放したつもりがスイッチが切れていなかったのが原因のようである。人差し指がこわばって動きが悪くなっていてそのあと何時間か指を動かすと痛かった。

次回からはここはこれで止めと思ったらそのままの状態でスイッチから指を放しブレードが止まったことを確認してから下ろすようにしようと思っている。二度あることは三度ある。そして三度目は大事になるやも知れずと妻から厳重注意を受けたのだが、自分でもその危険があると何となく感じていてもまだまだ大丈夫という意識が抜けない。なかなか老化を自覚し行動に反映するのまでには時間がかかるようである。



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  No.176  ガーデニングのこと  [2005(H17).09.12]
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  No.129  体力低下に備え庭木剪定見本写真を撮る  (2012.10.22)

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2020年8月10日の「屋久島暮らし残照録・偏見ご免のたわごと編:No.023」の記事です。

先日、友人からコロナで行動自粛のなかボケ防止に何かしているかと問われ、私はホームページの作成とウィンドシンセサイザーを吹くのがそれに該当すると思われると返事した。ホームページの作成は20年くらい継続しているが、SNSには収まらない比較的長めの文章を首尾一貫して矛盾なく書くトレーニングの意味合いを込めてやっている。これは頭を使うがキーボードを打つだけなので多分手指の動きと頭の連動効果は薄いかも知れない。

そういうこともあって、近年楽器をやることにしたのだが、いまはウィンドシンセサイザーを吹くことをほぼ毎日やっている。これはボケ防止によいかなと思って始めたものである。目的がそういうことだから、うまく演奏できるようになればそれに越したことはないのだが、私は生来音痴でリズム感もないからただ聞き覚えのある曲の楽譜を読んで指でキーを操作し息を吹いて音を出すだけで、音楽的な評価に値しない演奏だと思われる。それでも回を重ねるとスムーズに吹けるようになる曲もあるので少しは練習の効果は上がっているようである。

そのもう一つの効果だが、私は以前から血圧測定の上の血圧、下の血圧、脈拍を毎朝血圧手帳からPCに入力しているのだが、以前は三つの数字を一度に憶えて入力出来ないときが多かった。それが楽器をやり始めて大分経ったいまは三つの数字を一度の記憶でPCに入力できるようになった。私はボケ防止の効果があってこうなったのではないかと思ったりしている。

私が友人にホームページの作成とウィンドシンセサイザーを吹くことと返事したあと、もうひとつボケ防止に役立っているのではないかと気が付いたことがある。それは昨年9月ころから始めたことである。ちょっと気になることがあって病院に行ったとき事前申告で調査用紙に夜間および日中の小用の回数とか生活行動を細かく記入することを求められた。私は例えば夜間何度トイレに行ったかなど正確に憶えていない。昨日何を食べたかなどは、当日の昼の内容も夜には定かでないときもあるほどだから思い浮かばない。これではまずかろうと思うようになって、毎日健康関連事項を主に小型ノート(A6)に万年筆で記録することにした。

毎日、何かした都度それを万年筆で日誌に書き込むことにした。これは一回に一行文字を書くことを一日20回くらいやるのだが、もしかしたらこれもボケ防止に効果があるかも知れない。これも行動と連動して頭と手指を使うのでそんな気がしたわけである。そして私のノートはいま3冊目に差し掛かっている。

そのノートの各ページのその日の項目は以下のようである。
夜間の排尿回数と水分摂取量、起床後の体温・血圧測定値、
日中の水分摂取量(摂取時毎回追加記録し累積)、
朝食内容、薬服用内容、排便状況、体重測定値、朝の自己流体操の有無
午前の間食内容、高血圧対策グリップ運動実施の有無、
昼食内容、午後の間食内容、フィットネスバイク運動したときそのカロリー数、
入浴の有無、夕食内容、就寝前体温・血圧測定値、一日の食事栄養集計値、
日中排尿回数、その他(例えば体調不良時はその内容記録、外出時は行き先と目的の記録など)



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2020年8月3日の「屋久島暮らし残照録・日誌編:No.022」の記事です。

7月のある朝、布団を上げようとしていたらシーツの枕の下方あたりに黒いものがあった。近づいてみてみたら1cmくらいのアリだった。そのアリは死んで転がっていたのだが、小さな虫がそのそばで動いていたので指で押し殺して見てみたらこれも小さなアリだった。
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最近私は腿の辺りが何となく痛痒いのが気になったときがあってそのあと1~2日くらいしたら湿疹か赤く腫れてとても痒くなった。それで寝床のアリを見たときアリに刺されたか噛まれて赤く痒い腫れが出来たのではないかという気がして、今回のアリがそういう悪さをするのか気になってネットでそういう関連記事がないか見てみた。

大きいアリはクロアリだと思われるが、このアリもひとを噛むらしい。日本にいるアリは大抵はひとを噛まないと思われているが、でも自分が危険な状況になると噛むことがあり、そして噛まれると腫れることがあるということである。寝ているときに私の身体に押しつぶされそうになって反撃して噛んだのかも知れない。あるいは小さくてなんというありか分からないが小さいアリが刺したか噛んだのかも知れない。

というのは、一回は痛痒さがあって1~2日くらいしたら湿疹か赤く腫れて痒くなったが、他の場合は痛痒い感じはなく痒いなと思って見たらいくつか赤く痒いぼつぼつが出来ていたから、大きいアリと小さいアリが寝床にいたので違うアリにやられたのかなという気がしたのである。ただ、アリがそんなに頻繁に寝床に侵入することはないと思われるから確信はない。

わが家では以前やはり赤いぼつぼつが出来て体が痒くなることがあって、ダニかも知れないと思って寝床ではダニマットをシーツの下に常時使用している。布団をたたんで押し入れに入れるときはそのダニマットを布団の間に入れている。今年は6~7月雨模様で湿度も高い日が続き布団も干せない。それでダニがのさばって来ているのかも知れない。赤く痒いぼつぼつが膝より上の太ももに出来るのが多いが、ダニにはその傾向があるという記事もあったからそんな気もして来た。

そこでダニ掃除機を購入することにした。ネットで見て一番安いがそれなりに評価されている製品を注文した。今回6月半ばから7月半ばまでに何回か痒い腫れが出来たのが気になって思い当たることの対策として、何日か置きにダニ掃除機をかけようと思い立ったわけである。

今年初めて身体に赤いぼつぼつが出来て痒くなったのは6月になったころである。庭に出てツバキの木の下あたりにいたとき突然肩のあたりに違和感があった。何かの虫が首周りから入ったかと上着を抜いで身体を払ったのだその感覚は消えなかった。何日かして肩から腕にかけて赤い小さいぼつぼつが出来て痒くなった。掻いたら広がって傷のようになって治るまでに相当の日数を要した。多分毛虫の毒針による皮膚炎だったと思われる。もしかしたらその傷をいじった手で触った皮膚の弱いところが赤く痒い腫れになってそれをアリかダニのせいと思ってしまったのかも知れない。分からないが気にはなっている。



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  No.20  アリに刺される  (2010.10.25)

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2020年7月27日の「屋久島暮らし残照録・偏見ご免のたわごと編:No.020」の記事です。

その題名の歌があることは知っていたが、いつだったかサラ・ブライトマンが来日してあるテレビの報道番組に出たときにTime to say goodbyeを初めて聴いた。そしてその歌声の素晴らしさにすぐサラ・ブライトマンのそのタイトルがついたCDを購入した。CDには1997年とあるから初めて聞いたのはそのころと思われる。その後何回も聴いているが、歌詞の説明書は見ないから外国語の意味など分からない状態でただ自分なりの気分で聴いて心地よい歌声に満足していた。イタリア語だというその歌の歌詞の意味を知った今でも流れるそのときの歌詞の意味が同時的には分からないのだからその聴き方は変わらない。

最近、歌詞の意味を知ることになったのだが、その切っ掛けはときどき夜中に目が覚めてTime to say goodbyeという語句が頭に浮かぶことがあって、そういうタイトルの歌の歌詞が、その語句を思い浮かべるときの私の気分に合っているのかどうか気になって来たからだった。そしてCDに付いていた歌詞の説明書に出ている訳を読んだ。

その歌詞の訳を見て私が思ったのはそういう解釈で合っているかどうか知らないが、結ばれた二人が過去のそれぞれの自分の世界にさよならを言って新たな自分たち二人の世界へ旅立とうという歌らしいということである。私が題名だけ聞いていたころに思っていたさよならを言うとき、すなわち死にゆくときが来たときのことをうたった歌ではないことは確かのようである。

私は年とって特に最近はなにか不調を感じると死を意識することが多くなった。そういうときに頭に浮かぶのがTime to say goodbyeという語句なのだが、その歌の歌詞の意味を知る前でも知った後でもその語句を思い浮かべるとき、死に行くとき自分はどうなってどうするのかといろいろ思いを巡らしたりすることになるわけである。そしてそれに付随して私がいままでに直接出会った死のときを思い出したりすることもあるわけである。

母の死のときは、父にまだ家に帰っていてよいと言われ家に帰っていた。そして時間が経って父から来いという電話があって病院に行った。そこで父が私が来たよと母に言ったのだが、母はそのとき振り絞るような声で「もういい」と言った。それが母の発した最後のことばだった。私はそのときの言葉を思い出すたび話せるときにそばにいなかったことに悔悟の念が沸き起こって来る。

その他ひとに係わることはいくつかあるが大抵は悔やむ気持ちが残っている。だが、それらと違って心穏やかな気持ちになるのは飼い犬の死ぬときのことである。一つは30年くらい前のわが家の二匹目の犬のことである。獣医にもうすることはないと言われ死が迫って弱ってきた様子に庭の犬小屋から家の中に入れて寝かしていた。

苦しそうな息をしていたある朝、私が出勤する前に頭を撫でたらうれしそうな穏やかな顔になって息も軽くなった感じがした。そう感じただけかもしれないが安心感に満ちた穏やかな顔に私は犬の私への気持ちを知った気がした。犬はその日私が会社に行っている間に死んでしまった。いまでもその犬を思い出すと穏やかなうれしそうな顔が浮かんで来て自分も穏やかな気持ちになる。

もう一匹はわが家で三匹目の屋久島に来てから家の中で飼って8年前に12歳で死んだ犬である。お腹にこぶみたいなものが出来て手術しようとしていた矢先、そこに穴が開いて獣医師にもうこのままにしようと言われて何ヶ月か経って大分弱って来たころのことである。用を足すのに起き上がるのも気力を振り絞っている感じに見えることが続いていたある日の朝である。

私は何となく予感がして暗いうちに起床した。犬は床に敷いたバスタオルの上に横になっていた。私はそばの椅子に腰かけてその様子を見守っていたのだが、犬が穏やかなだが何となく悲しげな眼で私の目をじっと見ている。私たちは互いに見つめ合っていたのだが、そのうち私はうつらうつらしてしまった。何となく気配を感じて私が目を開けたら犬が動こうとしている。そばへ行って頭をさすっていると気持ちよさそうに目を閉じる。止めると頭を私の方に向ける。そうこうしてしばらくして犬は立ち上がって用を足したいときのように玄関の方へ向かう気配を見せた。

私はいつものように用を足したいのだと思い抱き上げて外に出て芝生の上に立たせたのだが、脚に力がなくすぐ倒れ込んでしまった。そして横になって伸びをした姿勢でウォーンと唸って深い息をしたあと息をしなくなって口のあたりの締りがなくなった。尻の穴には便がちょこっとついていた。私はこのとき犬の死に立ち会い看取ったということになるのだが、この犬の死を思い出すときは、死の直前見つめ合っていたときの犬の何か言いたげで穏やかだが何となく悲しげな眼付きの顔が浮かんで来るのである。そしてそのときが犬のTime to say goodbyeだったのではないかと思うのである。



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