屋久島生活の断片 / 屋久島方丈記

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2014年11月17日の「屋久島方丈記・日誌編:No.253」の記事です。

わが家にはタンカンの木が一本あって何年か前まではサルに狙われず春に黄色い実のなる景色や収穫を楽しんできたのだが、ここのところ続けてサルに狙われてある年は実が黄色くなりかけのうちに全て盗られてしまったことがあった。以来、敷地の縁などに防護網その他でサル対策をしたつもりだが、やり方がまずいのか効果はあがっていない。

今年も9月ころになって敷地境界付近に立っている大きなアコウの木に実がなると例年のようにその実を食いにサルがやって来た。そのうちタンカンの木が狙われることになる。今のうちから怖がらせて被害を減らそうと、サル追い銃を買って来るたびに脅してやった。バイオ弾で射程20~30mくらいだから威力はない。初めは撃つときのバネ音と弾が木などに当たった音に驚いて逃げていたが、ボスらしきサルはそのうち平然として弾を目で追うようになった。そこで狙いを定めて当ててやったら、その後は銃を持って出て行くだけで逃げるようになった。しかし実がなっているうちは来るのは止まないので、追い払う効果はあっても近づけないようにする効果はないようである。



写真・左: 品名:サル・鳥追いてっぽう(農業用)
写真・右: 空色の網を掛けたタンカンの木

アコウの木の実が無くなりかけたころ、散歩から帰って庭に行ったらその気配にサルが逃げて行った。庭の隅にピンポン球より少し大きいくらいになったタンカンの青い実がちぎられ落ちていて中身半分食われていた。天候のせいかどうか知らないがいつもは11月ころからタンカンの実を狙ってくるサルが今年は9月に来たことになる。

そこで今年は直接タンカンの木に網をかぶせサルに実を盗られないようにしてやろうとJAに網を買いに行った。まだ時期ではないのか在庫がよく見かける網より目が荒い一種しかなく、それで効果が挙がるかどうか疑問だがそれを購入してタンカンの木の周りに巻いた。いまのところ小さい実を食ってみたところ食いごろでないと知って遠のいていると思われるがサルの気配のしない日が続いている。春には網の効果があって黄色い実の景色が見られればよいなと思っているが網が少し興を削いでいる感じはある。



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屋久島方丈記・日誌編:
  No.199  ことしもわが家の庭にサル・シカが出始めた  (2013.12.16)


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2014年11月10日の「屋久島方丈記・日誌編:No.252」の記事です。

10月31日から11月5日の間、東京・表参道のGallery KOWAで妻と羊毛手紡ぎ・手織り仲間の三人で作品展示会を開いた。案内状の送り先も少ないので妻の友人・知人は少なかったが、仲間のひとの友人・知人などがたくさん来場されたようである。また人通りの多い場所柄か来場者の約半数以上が通りすがりに入ってくれたようである。大方の感想は温かい感じがするとか柔らかい色づかいがよいということだったようである。



初日の午前に妻が雑誌などでよく見る和文化総合プロデューサーでエッセイストの女性に似ている方が来場されたので作品を手にとっているときに、そうですかと声をかけたらその方だったそうである。妻の作品を気に入ってくれて買ってくれることになったが、カード取扱をしていない関係で仕事を済ませてからお金をおろしてあとで来られるということになって名刺までいただいたそうである。夕刻に品物を取りに来られ領収証をと言われたがこれもまた用紙を用意しておらず、商売っけのなさが露呈してしまったようである。怖いもの知らずの妻たちは趣味の延長だからとあっけらかんとしていたようである。

外国のひとも結構入って来てくれて、英語、フランス語、ドイツ語、中国語では対応に困るかと思いきや、そのとき入っていた他の方が通訳を買って出てくれて問題なくコミュニケーションがとれたのは幸運だったということである。またイタリア人は日本語が出来るひとで大丈夫だったそうである。中には売約済のこれと同じものを作ってくれ、どのくらい期間がかかるかと聞かれたりしたが、原毛の入手、染め、紡ぎ、織りとかなり期間がかかるうえに外国への送付や決済の手間を考えると、一点ものを気ままに作る趣味の域を超えるのでお断りしたようである。

通りすがりの来場者の中にある有名デパートの催し物企画をしているひとがいて展示の仕方が良いと言ってもらえたそうである。そしてそのデパートで展示会をしないかと誘われたそうである。三人は展示会はもう今回で終わりだと周囲に言いふらしていたのだが、それを聞いてまたもう一回という気になって来ているみたいである。今後本当にやることになるのか展開がお楽しみという感じかと私は見ている。そのはなしの前に来場した他のお店の方から誘われたときには今回で終わりと断っていたらしいが、大手のデパートにその決意も揺らいで来ているようである。

また、人目を引こうと羊毛で作った羊の置物が狙い通り結構役立ったらしい。ひとは道を歩くとき下の方を注意するから道沿いのガラス張りの下方に置いた羊が目につきやすい。そして何かと上を見るとギャラリーの中が見える。それで興味を持って入場してくれる。妻は多分通りすがりのひとの多くはそれで入ってくれたのではないか言っている。

羊の置物は好評で一人で数個買ってくれたひとが多かったらしい。羊は男性も結構買ってくれたそうである。小さい羊は60個くらい用意したのだが完売したようである。人目を引くようにと大きい羊を作ろうとして上手くいかず1個で止めたのだが、その不出来な羊も売り物にせず一応置いておいたのだが、来年84歳になるという羊が干支の一人暮らしの女性にどうしても欲しいと懇願され譲ったそうである。あとで不出来で型くずれでもしないかと心配だがそれを承知でということなのでまあいいかと譲ったらしい。

また妻の報告では、私のホームページかブログを見て来場した織りをやられている方のブログ記事に早速今回の展示会に触れている記述があって、その中にかつて私が作った木製ハンガーと今回作った人型ハンガーも良かったと出ていたようである。私としては足を引っ張らなかったようでほっとしているところである。



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  No.21  H26.11 羊のいろいろ展
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  No.250  妻の展示会用に人型ハンガーを作る  (2014.10.27)


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2014年11月3日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.251」の記事です。

10月中ごろ見たあるブログに9月末に放送され私も見たNHKスペシャル「老後破産の現実」に関する記事があって、それによると独居老人600万人の半数が年120万円未満(年収120万円は生活保護水準以下)の年金で暮らしているそうである。また日本各地の高齢世帯を調査しているある大学の教授の推定では日本全国に低年収の高齢者は300万人だそうである。65歳以上の高齢者は日本全国に3200万人だからおよそ10人に1人が老後破産の状態にあるという計算になるということである。

高齢者26%以上という私の住む集落の高齢者は170人余(2010年)だが、周囲を眺めても老後破産している高齢者は見当たらない感じで実感がない。それをあけすけに言えない問題の性格上かあるいは現実に見る姿が問題と定義されている破産に抱く私のイメージと隔たりがあって実感出来ないのかも知れないが、本当に10人に1人かどうか疑問に思ってしまう。(2012年の当地のあるひとのブログによれば、屋久島町の生活保護者は全員65歳以上とは思われないが207人ということである。また2010年の人口データでは65歳以上3,800人余である。10人に1人ということはなさそうに思える。)

またNHK番組の老後破産例の取材では個別の家庭の事情によって苦境に陥った例を見せていた。しかし私の印象ではその例で全体を論じることができるような感じはしなかった。老後破産の状態にあるという300万人が本当に全員120万円以下のお金しか使っていないあるいは使えないということなのか、他に手当できるお金は持っているが収入が120万円未満なのか、換金できる資産を持っているが換金していないからなのかあるいは援助者がいるのかいないのか、例だけを見ていてはよく分からない印象だった。

本当に他に保有資産もなく年に120万円未満しか使えるお金がないということならば、NHK番組の言うように何か保護の手立てを講じる必要があるだろうが、実際のデータはどうなっているのだろうか。マイナンバー制度が施行され国民全員が収入と資産を隠せない状況になれば保護すべき老後破産者の実際が見えてくると思われる。あいまいな実態把握の取材例を見て感情的にただかわいそうだからとやみくもに保護のはなしに行くのは問題のような感じがした。

またあるブログを見たら、年度は分からないが個人資産(金融資産含む)の年齢層別分布で60歳以上(人口35,937千人・約3,600万人)の世代の一世帯当り世帯主資産額は103,362千円・約1億円)で、他の世代の同様データとこのデータから計算すると60歳以上の世帯主の一世帯当たり個人資産額割合が全世代に占める割合が71.9%になる。多額の資産保有者が平均を押し上げているにしても個人資産は60歳以上の世代に偏在しているということになるそうである。

そしてまたあるブログでは、この資産偏在データなどを理由に高齢者はかわいそうなのだから国がさらに金をつぎ込むべしと言っているように見えるNHK番組はおかしいのではないかと疑問を呈している。多額の資産を持っている高齢者世代が同世代の本当に困っている人たちを支えるべきではないか、さらにはいま高齢者を支えている世代の負担を軽減してやるべきではないかということである。例えば負担出来るひとについては医療費負担は現役世代並にするなど高齢者だからと一律低負担で提供している社会的サービスのやり方を見直してもよいのではないかというようなことである。NHK番組は高齢者対策にさらに国が金をつぎ込むべしと言うだけのようで、片手落ちの論議である。税金で助けてあげなくてもいい裕福な高齢者の貯金を殖やすために社会保障・福祉費用を膨張させ、未来ある子供・若者達ひいては未来の国作りのために使われるべきお金を浪費するのはいかがなものかと批判している。

一方メディア関係のネット記事を見れば、老後破産と脅された現役世代がそれをどう回避すべきかという論点が多い印象である。老後資金をどう準備するかとか、どう老後を過ごすべきかというようなことである。ある記事では、老後は子や孫と縁切りせよというのもあった。愛情・気持ちだけは分け与えても、金銭的には縁切りしないと老後破産しかねないというはなしである。これには私も共感するところがある。退職時に平均寿命までに年金込で1億円は必要だからそれに見合ったお金を貯めておけというはなしに落ち着かない日々を過ごしてきた。またいまは私のしてきたと同様に子が死ぬまで自分たち親の面倒を見てくれるという前提(例えば跡取り息子というような概念)は、労働人口の流動化と核家族化で消滅してしまったから自助努力で死ぬまでの暮らしを賄わなければならなくなった。私も出来る範囲で準備してきたが、常に将来不安が頭を過る。

高齢者にひとにより多寡の差はあれそれなりに資産が偏在しているのは、それまでに働いたり努力してきたからであって、いまの現役世代も多分資産をそれなりに保有した高齢者になるのだと思われる。しかし現役世代の人口が減少し増えた高齢者のためさらに負担を求められればそれが叶わないかも知れない。やっぱりNHK番組を批判するあるブログの言うように、マイナンバー制度で全国民の収入・資産を透明化して負担できる高齢者世帯には現役世代並みの負担その他をしてもらうことを考えなければいけないように思える。NHK番組が福祉が行き届いていないと言うのは煽りかも知れないが、現に老後破産不安をもたらしている状況があるのは間違いないと思われるから何らかの改善は必要である。改善策は将来高齢者となる若い世代を含め全世代が納得するものにして欲しいが、高齢者になる過程を経てきた私としては公平・公正のみならず将来不安(節約志向になりすぎる一因でもある)から開放されるような施策が重要だと思っている。



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2014年10月27日の「屋久島方丈記・日誌編:No.250」の記事です。

妻が羊毛手紡ぎ手織りの仲間三人で、10月31日~11月5日に東京・表参道のGallery KOWAで「羊のいろいろ」という作品展をやることになっている。2~3週間前になっても展示方法などどうしようかと思案中である。羊毛で羊を作って外から見えるところに置いて人目を引こうとしているようだが、いつも作っているものより大きいサイズをつくろうとしたらなかなか上手くいかず一個作って諦め、小さいサイズをいっぱい作って大きいの一個の周りに置く作戦に切り替えたようである。数十個は作る気らしい。


(大きさは左の方の鉛筆や黒いシャチハタ印と比べると分かる)

作品については大型のL型ショールなどは以前私が作製した木製ハンガーのスタンドなどを使うようだが、そんなに大きくない作品についてはこれも以前私が用意した木製の横棒があるのだが、毛糸など掛けるにはよいがこれにショールみたいなものを掛けるとタオルでも掛けたようになって作品の見栄えがしないのではと悩んでいる。

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(作った人型ハンガー)
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(人型ハンガーに掛けた作品のひとつの前面と後面)

そして妻がひとつの作品を自分で着けてこういう感じだとこの作品もそれなりに見えるでしょと私に見せてくれた。ひとが着けた感じが出るようにしたいようである。家にはひとが着けたようにするものとしてビニールの風船式のトルソーが一つあるがそれでは服を着せたりしないと趣が出ないし大仰になる。そこで私がダンボールで人型ハンガーを作ってみたらどうかと思いついた。

すぐに製作に着手、家にある箱を解体したダンボール板に妻の首から胸部くらいまでの正面図を写して切り取ってクリーニング屋に服を出すと付いて返ってくる針金製ハンガーを骨としてクラフトテープで貼り付けた。それだけでは見栄えが悪いから、ときどきポスター等で新聞を模様に使っているのを見かけるのにヒントを得て新聞紙を人型全体に貼り付けた。妻が試しに作品を掛けてみたが、使えると言って気に入ったようである。作品で新聞紙はほとんど隠れるし離れて見れば見えるところはグレイっぽく見え作品の味を邪魔しない感じである。

一応6個作って太めの釣り糸で吊るすようにしておいたが、その糸でどこかに吊るすなり結びつけてもらえばよいわけである。妻は同じような作品があってやはり展示方法をどうしようかと考えていた仲間のひとに電話して半分づつ使おうということにしたようである。



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  No.159  ハンガー試作のこと  [2004(H16).12.20]
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  No.21  「羊のいろいろ」展  (2014.10.31~11.05)


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2014年10月20日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.249」の記事です。

先週見たブログにブスの本音がムカつくというはなしがあった。ブスに面と向かってブスと言えない。これは世の中の気遣いみたいなものである。そしてその気遣いに守られているのに気づかないブスが、気遣って自分が言ったことに正論に聞こえるような本音をズバズバ返してくる。その庇護されている己をわきまえない厚かましさにムカつくというものである。気遣いをやめれば自分はどんなに楽になれるかと思うが、普通の神経の自分はやめられない。そして厚かましいブスにはブスだからこんなものと悟るような境遇が待っていると思いたい。私が意訳するとこういう内容のようである。

もともとは暗黙的に気遣いされるべきと思われている人間のなかに自分が気遣いされていると気づかずただただ自分の権利ばかり主張したり自分を棚上げして気遣いの言葉に反論してきたり正論らしきことを言い募ったりしてくる人間を皮肉ろうとして、ちょっと見、気を引くようにそういう人間の例としてブスということにしたのではと思われる。私も面白半分ブスという語に引かれて読んでしまったのだが、言わんとしているところには引かれるところがあった。自分の置かれた立場が庇護されているということに気づかず、やりたいようにしたり言いたいことを言ったりあるいはひとを支配したりする人間に私が感じるマイナス感情に通じるところがあったからである。

似たようなことは韓国や中国と日本のもの言いやジャーナリズムの暴走などに感じることがあるし社会的弱者や被保護者と目されるひとたちとあるいは閉じた世界にいるひとやその周辺とのコミュニケーションで感じたことも何回かある。その例二つである。そのひとつは教師関連の例である。ある教師の奥さんのことである。常々お世話になる教師の奥さんだから自分の子どもくらいであってもそれなりの敬意を持って接していた。インターネットを使い始めたころのこと、用事でその奥さんに初めて妻がメールしたらその返信によく書けてますよとの評が付いて返って来た。それを聞いて私は用事だけで済まさず、コミュニケーションをとった妻の能力をも評価する教師の奥さんに不快を感じたことがある。教師には生徒などを見下す意識を持っているものがいて、教師の奥さんと持ち上げられて扱われているその奥さんにまでそういう意識が伝染しているのかなと思ったことである。

またあるグループ活動でメンバーに校長がいたが、妻がXXさんと名を呼んだら怪訝な顔をしたそうである。妻は自分の先生でもないし子どもの先生でもない。子どもももう大きくなって学校にも行っていない移住してきた地でのことである。それなのにプライベートな場面でXX校長先生と呼ばない妻に怪訝な顔をしたようである。これも本音で文句も言い難い仲間内や生徒・父兄から先生と呼ばれ、そう呼ばれるのが当然と思っているからだと思ったものである。

もう一例である。ブスのブログの出た同じ日に見たTVで琉球独立論というのが話題になっていた。独立があるかないかという面白論議である。私も独立は無理筋だと思っているが、その議論の中でもし独立し自衛隊と米軍が撤退したらすぐ中国の支配下になってしまうだろうという話があった。いまでも国からの多額の交付金などで沖縄が運営されている。沖縄県民が独立を望み琉球として独立したとして、中立を目指すとしてもそれを保証する軍事力をどう確保するのか。琉球国民皆兵制にするのか。また琉球としての経済自立の見通しがどうなっているのか。それが担保されなければ中国に国替えになるだけかも知れないというはなしである。

現状の沖縄は経済的・軍事的に日本という国家の枠組みの中で気遣いと庇護を受けているわけである。それで成立している状況が独立しても当たり前に続くという前提の上に独立論が浮上している印象である。私には琉球独立後どのような発展した姿になるのか具体的に想像できない。いまのところ沖縄の問題は、国内で軍事的重要性対応とそのための経済補償・保証を基礎に解決していくしかない。それが政府の考えでもあるがなかなかすんなり行かない。本土の犠牲になっているかわいそうな存在だからとなだめすかされるのが当たり前みたいになっている沖縄に対し本音が言い難いからだが、沖縄は面と向かって本音を言われない存在からの脱却が必要であると思われる。



(関連記事)
屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
   No.64  軟弱者の言い分のこと  [2001(H13).08.13]


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2014年10月13日の「屋久島方丈記・日誌編:No.248」の記事です。

今年も鉢に植えてある草花の葉がちぎられたり球根ごと抜かれて転がっていることが何回かあった。庭木の1mくらいの高さに着生させたデンドロビウムのバルブがちぎられていることもあったのでシカが来てのことかと網戸の張替えで余っていた網を巻いてみたのだが、その後も何者かがやって来ている気配が止まない。

そこでソーセージをエサにしてコンポストの側に捕獲機を仕掛けておいたら9月29日の朝、先に起きていた妻がキッチンの窓からタヌキみたいなのが掛かっているのが見えると起こしに来た。見に行ってみると鼻がとんがっていて頭の前の部分が白っぽい。私はタヌキはもっと大きいものだと思っていたのだが、大きさはネコくらいだから子だぬきかも知れない。



以前、タヌキが道端に死んでいたことがあって役場が始末するというはなしを聞いた気がして引き取って処分してほしいと電話したら、引き取り処分はしていないとのことで集落の猟友会会員に引き取り処分してくれないか頼んでくれることになった。狩猟許可のない個人はそういうひとに頼むか放すしかないようである。その後役場から顔見知りの集落の役員もやっている猟友会会員のひとが引き取ってくれることになったと連絡があった。

引き取りに来てくれたときに聞いたはなしでは、タヌキは歯が鋭く畑の周りに張る防護網の固定ロープみたいなものまでも食いちぎるとのことである。以前やはり植えた球根が芽を出してしばらくしたら何十個も葉をちぎられたり引き抜かれたりしたことがあって、サルかシカの仕業かと中古の漁網を利用した防護網を買ってきて張り巡らしたのだが、網がちぎられて穴だらけになってしまったことがあった。穴は下の方に開いていたのでてっきりサルが食いちぎったものと思い込んでいたのだが、どうもタヌキの仕業だったようである。



(関連記事)
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  No.138  ネコ・サル・シカの迷惑と被害対策  (2012.12.17)
  No.149  路側に増えて問題のタヌキの死骸  (2013.02.11)


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2014年10月6日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.246」の記事です。

知り合いの私よりさらに高齢なひとで、幾つかの病気を抱えているひとのことである。定期的かどうかは知らないがときどき島外の病院あるいは医院に診察・治療に行くのだが、最近通うのも負担になってきて島内のある診療科の医師に主たる症状の経過フォローをしてもらおうかと考えて受診したそうである。私の聞くところによると本人は自分の病歴を細かく知ってもらいまた自分の病気に対する対応姿勢を理解してもらい、その上で自分がどんなふうに見てもらいたいかを医師に伝えたかったようである。要領を得ない話し方だったのか伝え方が悪かったのか、時間が経ってもはなしが伝わらなかったようで待たせている患者もいるということで尻切れになり経過フォローしてもらうはなしまではいかなかったようである。

私がそのひとの気持ちを忖度するに、初めてだから病歴を全て把握してもらいたい、そしてこの問題についてこれからの日々をこういう考えで過ごしたい(例えば、悪化しても手術はしない対処療法で苦痛を軽減しなるべく周囲に負担をかけないで最期を迎えたい)ので、そういう方針で経過フォロー願えないかと伝えたかったのではないかという気がしている。多分その人はいま診てもらいたい気になる症状について他の病気と独立して診断され処置され新たな問題が誘発されるのを気にして、病歴など細かく自身の状況を伝えようとしたのではないかと思っている。

私も経験があるが、患者として医師にものを言うとき思っていることが伝わらないと感じることがある。私の場合は、自分が何を気にしているのかということがなかなか伝わらない感じである。現実に処置しているときのことはあまり気にしていない。気になるのは自分の今後の生活へのそれらの影響である。処置結果の今後への影響とか処置前と異なる体調発現時の薬の副作用や投薬の妥当性その他に関する対応などである。この先の安心を得たい気持ちが強い私は、なるべく心配・疑問が解消するような適切な説明もしてほしいわけである。

こういうことは目の前にいる明々白々具体的症状・患部が明らかな患者の場合と異なって、ある意味患者の体質や病歴などを含む過去とその延長にある将来を見通す人生への関与という部分がある。しかし自分全体をとらえてそのとき何が問題になるのか見通したいという思いは伝わりにくい。そして私の感じでは、多分知り合いは自分の残りの人生の頼りにすべく島内に病気だけでなく自分をひととしても診て行ってくれる医師を求めていたのだと思われる。

ネット記事を見ていたら、医師が患者とうまくコミュニケーションをとるために提案されたという患者タイプ分類に、父権型(「だまって私の治療を受けなさい」というのを望むタイプ)、解釈型(自分では問題を具体化できず医師に導かれ答えを探すタイプ)、情報型(自分で情報を集め自分で治療を選択するタイプ)、審議型(具体的な解決策を自分なりに考えるが結論に至ることができず、医師に友だちのような役回りを期待し同じ目線で議論して答えを求めるタイプ)というのがあるそうである。父権型は時代遅れ、解釈型は優柔不断、情報型は近代的などと患者をそれに当てはめて対応している勘違い医師が結構いるが、ひとは誰でも、情報型、解釈型、審議型、父権型の要素が、少しづつ混在しているのだそうである。私も知り合いは各タイプが混在しているひとだと思っているが、もしかしたらコミュニケーションの印象から医師は父権型として対応するのがよかろうということで尻切れになったのかもしれない。

いずれにしても、初診で患者も医師も互いに相手にどういう印象を持つかでその後の関係がある程度決まってしまうかも知れない。これもネットで見たのだが、「臨床実習を始める医学生のみなさんへ・診察の仕方を学ぼう」という記事があった。初めての患者との会話の仕方などが書いてあったが、今回の知り合いが病歴を細かく伝えたいというのに関連したところでは、病歴の聞き取りについて人間的な付き合いの始まりとあったのが興味深かった。以下、抜粋紹介する。


・病歴の聴取は、的確な臨床診断を下すために必要となる情報を獲得する有力な手段であるが、そればかりではなく、患者と病気を介して人間的なお付き合いを始めるための重要な第一歩である。病気のことを聞き出すための質疑応答というような単純なものではない。 次第に人間的な信頼関係が築き上げられていくことがはっきりと分かるような、打ち解けた「会話」でなければならない。

・的確な臨床診断を下すためには、患者についての正確で漏れのない情報が不可欠で、 この情報を得るために行う最初の働きかけが「患者への病気に関するインタビュー」すなわち病歴聴取である。

・診療に必要な情報は以下のようである。
・・・氏名・性別・生年月日と年齢・現住所・職業など、すでに診療録(カルテ)の表紙に記載済みの基礎データ
・・・現在悩んでいる病気の経過、過去の病気や家族のことなど、疾病に関するデータ
・・・趣味や嗜好、性格や性癖、信条や習慣、仕事の概要や日常の生活状況など、社会や家族の一員として過ごしているその姿が彷彿できるような生活データ
・・・病気になったために起こってきた心配事や悩み事など、心の中に仕舞われているために、容易には聞き出しにくい心のデータ

・これらの情報の大半は個人のプライバシーに属するものである。 初対面の人からこんなことを詳しく聞き出すことはほとんど不可能だが、この不可能を可能にするために日常の医療では細心の注意が払われ最高の技術が行使されている。

最後の「この不可能を可能にするために日常の医療では細心の注意が払われ最高の技術が行使されている」という部分は、医学生に医療現場ではそう実践されているのだ、あるいはされるべきものだと教えているわけである。


(台風18号関連記事)
屋久島方丈記・日誌編:
  No.247  台風18号_高圧電線断線  (2014.10.06)

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2014年9月29日の「屋久島方丈記・日誌編:No.245」の記事です。

9月の初めころだったと思うがある新聞の文化欄に、折り紙の博士というひとの寄稿文があった。ばらの折り紙の発明で有名な人だそうである。その記事を見て、そこに紹介のDVD付ばらの折り紙の本を購入したくなってしまった。早速ネットで調べ注文することにした。そして同時に手軽に出来そうでいろいろな種類が載っている同じ著者の折り紙本と合わせ注文した。

本が来るまでの間に、むかし孫が小さかったころ家に来たら一緒にやったら良いのではと思って買った子どもとその親向け折り紙入門のような本のことを思い出し、本棚から探しだした。当時、孫は興味を示さなかったようで開いた形跡もなかった。そこでその本に出ていて自分でも折ってみたい好みに合うものを折ってみた。かぶと、かざりかぶと、しゅりけん、つる、ふうせん、あやめである。かぶとやしゅりけんは作った子どものころを思い出す。ふうせんとつるは教養的な折り紙という印象である。あやめは載っていた花の折り紙の中では一番自分の好みにあったかたちだった。




そうこうするうちに注文した本が来た。ばらの本は新聞で紹介されたからか注文殺到しているらしく納期は未定で、簡単なものから難しいものまで百数十種くらいを網羅した折り紙紹介本だけが来た。その中にばらも一つ載っていたが、見たら工程が私には複雑過ぎる感じがし、ばら自体にもあまり魅力を感じないので、未納のばらの折り紙本はキャンセルした。私は工学的なかたちのものとかシンプルな折り方でかたちがすっきりして美しいと思えるものに惹かれるようである。届いた本には、先述の入門折り紙本と基礎的なあるいは伝承的なものでダブルところもあるが、持続的趣味ではないちょっと体験志望の私にはこのくらいで十分である。いまのところその本で折ったのは、つばめとスペースシャトルとステルス戦闘機、長かぶとである。そのくらいしか興味がわかなかった。

商売で折り紙製品を作るとかあるいは折り紙で芸術作品を作るというひとは腕を磨きながら同じものでも毎日のように折るのだろうが、指を使うので面白ければ老化防止にやってみようかというくらいの気持ちの私は、同じものを本を真似て何回も折るというのに面白味を感じないし、あまり複雑なものはご免という気持ちが先に立つ。継続的に折り紙をやっても私は楽しめない人間のようである。創作に面白みがあるのかも知れないが、自分に創作する能力があるとは思えず、また意欲もまったく湧かないからこれで折り紙体験はお終いである。亡くなった父がかつてケアサービスで折り紙をしたかどうか知らないが、私がそういう境遇になり折り紙をする機会がやって来たら、指を使う老化防止作業あるいはリハビリとしてやることはやるだろうが、あまり楽しいとは思わない気がする。


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2014年9月22日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.244」の記事です。

池上彰氏が書いた従軍慰安婦報道についての寄稿文を朝日新聞(会社)が掲載を拒否したことについて朝日新聞社内の記者が公然と反乱を起こしているということを知らせる池田信夫氏のブログ記事に、朝日新聞(会社)は業界では珍しい「民主集中制」で、例えば慰安婦問題で強制性を糾弾するという方針を社として決めるとそれに反する記事は許さず、マニュアルをつくって研修をやりそれ以外の立場で原稿を書かないように教育するのだそうである。また多様な言論があるのが当たり前の世の中では、朝日新聞(会社・多分経営陣や上層部)が反政府の方針を鮮明に出したとしても、その方針がいやな記者はやめればいいということになるのだが、現実には日本の労働市場にはそういう流動性はないので、社の方針についていけない記者は面従腹背の左翼になるものがいるらしい。とすれば、反乱者も会社に所属しているのだから面従腹背だが左翼の振る舞いをしないでやり過ごしてきている人たちなのかも知れない。

従軍慰安婦吉田証言や福島原発での命令違反の誤報も、日本を貶めることをイデオロギーとした経営陣とそれに迎合して出世した上層部と面従腹背の左翼のやからによるものの仕業ということのようだが、朝日新聞(会社)がその方針で仕切った記事を世の中・世界に発信するというビジネスモデルは、多数の人間によりその記事がインターネットで検証される時代の流れに通用しなくなりつつあるのだが、今回の社内記者の反乱はそれを経営陣に知らしめることになったようである。池田氏はまた、新聞業界では朝日新聞(会社)だけが本当に狂っていて社内の左翼的な空気が暴走しているのだが、それを地方紙(会社)が真似て全国的に影響が及んでいると見ている。そしてこれに歯止めをかけるのは現場の下克上しかないのだと今回の記者の反乱を評価している。

はなしは替わって、7~8年前のことである。共産党の元議長宮本顕治が亡くなったことに関連してある雑誌に掲載された立花隆氏の論文に、共産党の問題は党内言論の自由を封殺するシステム・「民主集中制」にあり、今の委員長も党内批判者の排除の功績により出世してきた人だし、未だヨーロッパの共産党がすべて捨てた民主集中制を捨て切れていないと評しているところがあった。民主集中制とは、内部でトップの批判者が出るとそれを排除・粛正することにより独裁体制を作り上げるシステムらしい。トップに反対意見を持つものは代議員にしない。議案は事前に配られ形式上事前討論にかけられるが反対意見を持つものがその意見の賛同者を求めることは分派行動とみなされる。その結果反対意見を持つものは民主集中制の根幹ルールである分派行動禁止に引っかかることになり査問にかけられ排除されるということらしい。

そしてその論文を見た当時、私はどこかと同じ感じがすると思ったのである。むかしいたある会社でのことである。その会社従業員の組合はクローズドユニオンである。カリスマ的組合長がいて私が入社したときはその体制がしっかり出来ていた。代議員だか評議員だかの選挙は多分執行部の指名による定数立候補でほとんど得票率100%に近い信任投票の趣である。そういう場に私は居合わせたことがあるのだが、投票用紙に造反したような形跡があると、各職場の指導層にその筆跡を見せたりして人物を特定しようとする。多分ブラックリストに載せるのではないかと思ったことである。

職場で反対意見を強硬に言うと、組合役員からご理解願うため個別に説明するなどというはなしもあった気がする。何となく査問に似た面があるのではないかという気がしたものである。そして最後には全員一致の議案採決ということになる。反対意見者は納得して賛成したのか納得しないまま賛成したのかよく分からない。この組合は当時の民社党系の組合である。共産党嫌いの党を支援するということだが、いま思えばやりかたは共産党と似た感じである。私は違和感を覚えながらもクローズドユニオンだから意見を言ってもちょっと押さえられれば給料をもらえることが最優先ですぐ理解した素振りをして流れに身を任す軟弱者だった。でも平常の不熱心な行動で私が締め付けをいやがっていることは見抜かれていたのではないかと思われる。

以上、頭書の朝日新聞(会社)が「民主集中制」だというはなしに関連し、思い出したり感じていたことである。民主集中制はちょっとした団体・組織なども含めどこにでもあり、出入り自由で上手く機能すればそれはそれでよい結果をもたらすが、諸刃の剣なので唯一の選択肢として頼らざるを得ないあるいはすがりつきたい活動をする団体・組織だと、暴走した場合大変なことになる可能性があるわけである。



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2014年9月15日の「屋久島方丈記・日誌編:No.243」の記事です。

クロマチックハーモニカをやり始めた経緯は後述するが、クロマチックハーモニカは構造的に結露の影響が出やすいので吹く前に人肌くらいに温めてと教本にあって、私の場合高音側で結露の影響が強いようである。一応練習前に脇に挟んだりして温めているのだが、吹き方が悪くてツバを吹き込んでいるのかこの夏の暑さの時期でもすぐ結露の影響が出る。その対策にハーモニカを保温・除湿すればよかろうと思い立って何か良いものはないかと探したら、人肌くらいに保温するものとして赤ちゃん用グッズ「おしりふき保温器」を見つけた。吹く1時間前くらいから電源を入れ温めると相当長く支障なく吹けるようになった。また夜間保管中は電源は切っておくが中に吸湿剤を入れてハーモニカ内部の湿気を吸湿させるようにしている。


(写真・左: おしりふき保温器)
(写真・右: ハーモニカ保温保管器としての使用状況)

さて、クロマチックハーモニカを始めるに至った経緯である。従来、私が見たことがあるいわゆるハーモニカは複音ハーモニカだったから、今年の2~3月ころハーモニカを始めるにあたっては迷うことなく21穴複音ハーモニカ・C調を購入した。そして入門教本で練習を始め、自分が聞いたことがある好みの曲を選んで練習していた。それらの曲を表現は別にして自分なりに音符をなぞって吹けるようになったら、ちょっと欲が出て、TVでよく流れる「花は咲く」を吹いてみたいと思うようになって、その曲の入っている複音ハーモニカ・クロマチックハーモニカ両用の楽譜集を購入した。

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(複音ハーモニカとクロマチックハーモニカの音域)

「花は咲く」は楽譜にCとなっていて私の持っているハーモニカで問題なく吹ける曲だったが、楽譜集の他の楽譜にこれも私が吹いてみたいと思う「川の流れのように」もあった。ところがこの曲には半音が使われていて楽譜にFとF#とあるので複音ハーモニカなら別の調子のハーモニカが必要らしい。複音ハーモニカは調子ごとにそれぞれ専用のハーモニカがあって、例えば一つの曲で2本のハーモニカを持って移し替えつつ吹かないといけない曲もあるらしい。ネットで見たところでは、初心者でもC / G / G# / A / A# / Gm /Am の7本くらい揃えたらという記事があった。

私は持っていた複音ハーモニカの音色は気に入っていたのだが、複音ハーモニカは一本で楽しむには制約がある不経済なハーモニカのようである。そこで調べてみたら半音がついたハーモニカつまりクロマチックハーモニカなら一本ですべての調子の曲に対応できるようである。そこで3オクターブの12穴クロマチックハーモニカを購入した。教本も購入したら、練習曲にそれでは低音側が足りない曲があったので大は小を兼ねるだろうと4オクターブの16穴のものも購入してしまった。(後追いの知識だが、大体は3オクターブ半の14穴一本で間に合うらしい。)

そして以後クロマチックハーモニカを練習してきているのだが、一番高いオクターブの音が上手く出ないことがかなりというかほとんどというかある。私が考えるにひとつの原因としては、複音ハーモニカでは左右の手で対称的に保持するので左右に移動させるのに問題はないが、クロマチックハーモニカでは右手人差し指でレバーを押せるように斜めに保持するので、右手が無意識に邪魔になって右の高音側の移動量が意識しないと少なめになってしまうからのようである。そしてここからは最初の結露し易いというはなしに戻って繰り返しになる。音が上手く出ない原因にはクロマチックハーモニカが構造的に結露の影響が出やすいということもある。教本に吹く前に人肌くらいに温めよとあるのだが、私の場合高音側で結露の影響が強いみたいで吹き始めてしばらくすると詰まったようなおかしな音になる。

一応練習前に脇に挟んだりして温めていたのだが、吹き方が悪くてツバを吹き込んでしまうのかこの夏の暑さの時期でもすぐ結露の影響が出る。その対策にハーモニカを保温・除湿すればよかろうと思い立って何か良いものはないかと探したら、人肌くらいに保温するものとして赤ちゃん用グッズ「おしりふき保温器」を見つけた。吹く1時間前くらいから電源を入れ温めると相当長く支障なく吹けるようになった。また夜間保管中は電源は切っておくが中に吸湿剤を入れてハーモニカ内部の湿気を吸湿させるようにしている。


補足: なぜ高音が出にくかったのか_理由の一つ
私の持っている教本には、唇の内側1cmくらいのところを巾着袋の口をギュッと締めるようなイメージですぼめ、唇の上下は力を抜くとある。またそういう状態でハーモニカをパクっと咥えるとある。そういうつもりでやってみるのだが高音になると音が出にくい。複音ハーモニカでは、私はガバっと咥え唇や頬の力を抜いて吹くがそれで上手く行っている。左右と音が混じらないように無意識に唇のかたちを調整しているものと思われる。ところがクロマチックハーモニカになって教本のようにしようと意識すると巾着袋のイメージでというのとパクっというのが災いしてしまったようで、息が細くなってしまうようである。複音ハーモニカは薄いのにガバっと私は咥えているのに、それより分厚いクロマチックハーモニカをパクっというのはおかしいと気づいて、複音ハーモニカを吹くとき以上にまずガバっと咥え、唇のかたちは左右の音が混じらなければよいのだと無意識に任せて吹いたら音が出やすくなった。お上品にパクっと咥えるのではなく、大いにガバっとまず咥えるというのが私の得たコツである。



(関連記事)
屋久島方丈記・日誌編:
  No.211  ハーモニカで老化を防止できるか  (2014.03.03)

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