屋久島生活の断片 / 屋久島方丈記

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2020年3月23日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.574」の記事です。

知人から聞いた話である。私の知人の知人が言っていたという又聞きのはなしである。その知人は有名な人物の子でそれなりの仕事をしているひとと付き合いがあって、あるときそのひとが親と同じ世界に入ったら周囲から親の七光りと言われたり注目されたりすることを苦に思っているというような愚痴を漏らしたことがあったそうである。そのとき利用できるものは利用してよいのでは、あとは本人次第なんだからとその知人が言ったらそのひとはほっとした顔をしたそうである。

私も思うに、親の七光りを利用することは、科学などで先人の成果をもとに先人が作り上げて来た成果の上に新たな成果を積み上げて行くことに似ている。先人の教えを受けず見様見真似で新たに取り組むというのでは原始時代と同じように生きろと言うに等しい。能力に応じて教育を受け過去の成果の上に新たな知見を築くからこそ、人類は発展してきたわけである。だから利用して新たな成果を出せるならそうすればよいわけである。

七光りと言われる子は親を選んで生まれたわけではないから、七光り問題の源は親がどういう親であるかということにある。能力あるものすべての子に利用できる七光りの親がいるわけではないことである。それが分かっているから親の七光りと言われて苦に思う子もいるわけである。私が思うにそれを軽減するのは親の生き方にある。親が七光りを自分の子以外の子どもにも当てる度量があれば、親の七光りと子がやっかみを受けることはないあるいは少なくなるかも知れない。

むかしのはなしかも知れないが、田舎の分限者が郷土の優秀人材を支援して中央であるいは郷土に戻って活躍できるように育てるはなしをよく耳にした記憶がある。件の有名人にはそんなに経済力があるわけでもないと思われるから、優秀な人材に引きがあるように紹介・口利きをして自分の子と同じような機会を与えてやるくらいだと思われるが、多分それはやっていそうである。

親の七光りで自分の子だけに光を浴びせて喜ぶ親とそれを当然とする子であっては困る。しかしそれなりの子なら、親が他人の子どもにも光を当てる度量があってもなくても、親の七光りを恥じることはない。その親の七光りを利用できればそうしてその親を超える人物になれば良いのである。それでこそ人間としての質も時を経て磨かれるものと思われる。なれなければ淘汰される。人類の人間としての質もそれに似た経緯で歴史を経て磨かれて来たのかも知れないのである。



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  No.38  教育のこと  [2001(H13).02.05]

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2020年3月16日の「屋久島方丈記・日誌編:No.573」の記事です。

わが家の脇を通って海の方へと続く里道のわが家の駐車場入り口近くのコンクリ舗装に下に木の根が這って太く成長したようで、コンクリがその根で浮き上がり割れてしまっている箇所がある。駐車場入り口の方に伸びていると思われる根がこれ以上成長してさらに割れや浮き上がりが進むといけないと思い割れて浮き上がったコンクリをどけて太さ10cmくらいの根を鋸で切った。


上・左: 補修前 (赤印-各写真同じ個所)  上・右: 補修前-(切り出した根)
下・左: 補修後    下・右: 補修後-(向こう側にかなり根が這っていた様)


そうしてとりあえず浮き上がった部分だけでもコンクリをはがし土砂で埋めてもらったらよいかなと考え、わが家の地区の世話役をしているひとに何とかならないかと相談し補修を考えてもらうよう依頼した。1月頃のはなしである。そして3月上旬集落の奉仕作業の日の朝、表で声がするので見てみたらその作業の一環で当該箇所を補修するということで世話役ともう一人のひとが来てくれていた。初めは現調で、そのあと資材を持って三人来て補修作業をしてくれた。思いがけない展開で、午前中気が付いたときにはもう作業は済んでいた。出費覚悟でいたのだが助かった。

補修後の状況を見てみると、割れて浮き上がった縁からかなり広い範囲に根が這って浮き上がっていたようである。これで幼稚園や宅急便の車の転回時や電線などの作業車の里道への進入などの際に運転者に気を使わせないようになったのではないかと思われる。勿論、私も駐車場入り口が付近が損傷する心配もなくなり一安心である。



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屋久島方丈記・日誌編:
  No.562  気になる道路_浮き上がりや陥没  (2020.01.27)

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2020年3月9日の「屋久島方丈記・日誌編:No.571」の記事です。

「死すべき定め(アトゥール・ガワンデ著・原井宏明訳・みすず書房)」を読んだ。ある読者評では死は何ぞやというような哲学的内容ではなく死んでいく実際はどうなのか、どうあるべきなのかというようなこの本の方が死を自分のものとして感じている高齢者には向いているとあった。それで購入し読んでみた。
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この本の趣旨は私の感じたところ、序にあるが以下のようなことを実際例で問題提起しているようである。ひとは必ず死ぬ。死すべき定めにある。もう何をしても甲斐なく死に至ると分かっているとき、残りの日々をただ延命治療で病人が生きていることを感じられなくなっても生かす医療がよいのか。老いて死ぬのが定めなのだから、病人がそれなりの幸せを感じて死に行くようにしてあげるのが老人医療なのではないか。ひとの運命を医学や技術、そして医者や家族の支配下に置いて病人の苦痛を増していやしないかというようなことを考えようということである。

内容的には実際例を出してこういうことがある、こういうこともあると書いてあるわけだが、その記述がいろいろな周辺状況のこまかなイントロのある小説風な冗長な記述で読みにくい。ある他の読者評では著者の父親のケースが出て来るまではすんなり読む気が起こらなかったというのがあったが、私には本文は全体的に冗長で早くあるいは簡潔に言いたいことを言えという感じだった。それで言いたいことは何かと読み飛ばしながら筋立てだけでも分かればという感じで読んでしまった。

だから私は本質を感じていないかも知れないが、何しろ読みにくい本である。これこれこういうことがある。これは問題だ。こういうふうに考える必要もある。などとすべてを簡潔に記述すれば読者の時間を無駄にさせない。それで趣旨を十分伝え問題提起が出来る新書版が出来るのではないかというのが私の読後感である。訳者はそういうエッセンスを新書版ダイジェスト本にして出せばよいのにと思ってしまった。

読後、私が思い出したのは認知症の研究第一人者が認知症になった話である。自分が認知症になっていままで自分の勧めていたことが誤りだったと分かったと言ったりしている。それを聞いてこの本に関連して思うのは、死に至る病を得た患者に苦痛があっても何が何でも少しでも生きている時間を伸ばす治療をしようとするのがいまの医療のようだが、それに執着している医師が病を得てそういう死に至る初めての経験を自分ですることになったときどう考えるかというようなことである。

高齢になって死を自分のこととして考えるようになっている私としては、自分が嫌だと思う治療、多分何が何でも少しでも生きている時間を伸ばす治療をすることは間違いだったと思うのではないかという気がする。少し死期が早まっても安らかな死を迎えられるような治療を望むのではないかと思われる。

ところが自分が死にそうなっている医師の多くは何が何でも生きている時間を伸ばす治療は間違いだと言わないで死んでしまうから、残って生きている何が何でも少しでも生きている時間を伸ばす治療をしようとする医師の世界の中で少し死期が早まっても安らかな死を迎えられるような治療が望ましいということにならないのだと思われる。

実際は苦痛に苛まれながら最期を迎える患者の姿を見ている医師本人たちは何が何でも生きている時間を伸ばす治療は間違いだと知ってはいると思われる。現に平穏死を迎えられるように医療をしている医師もいるわけである。平穏死を勧める本も出ている。しかしそれは少数派で、多くはいまの医師の世界ではそれを言い出せないのかも知れない。

医師相手のアンケートで他人には抗がん剤治療を勧めても自分の家族には勧めたいと思わないというような結果を見た記憶がある。自分の気持ちに素直になればそういうことなるのだと思われる。しかし自分や自分の家族などでない他人には、苦痛を与えることもやむなしの医療をしているとしたら悲しいことである。



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屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
  No.560  認知症研究の第一人者が認知症になった_テレビ番組  (2020.01.20)

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2020年2月24日の「屋久島方丈記・日誌編:No.569」の記事です。

移住してきたころからかなりの間、わが家へ農道から下って来る坂道の脇の木の枝に擦って車が傷つかないようにあるいは散歩で車をよけやすいように、そしてまた宅急便などの大きめの車にも上の方の枝が擦らないようにと、私は枝切りを何年か毎にやって来た。近年は比較的最近引っ越してきた人が代替わりしてくれた感じになっている。


     左: 枝切り前                                            右: 当該箇所枝切り後

その坂道の一部に電話線やテレビケーブルに道脇の木の枝が当たる箇所がある。私がまだ脚立の乗ってバランスを崩しても何とかこらえることが出来たころは、脚立の上に立ってその木の枝が電線に当たらないよう上部を枝切りしていた。しかしそういう動作に不安を覚えるようになってからはそれもしなくなった。

以来、その部分の枝が伸びて電線が枝の中に隠れるようになって久しい。昨年はテレビケーブルが同軸ケーブルから光ケーブルになった。まだ開通に至っていないが今年になって通信ケーブルが敷設され、電話線とテレビと通信用の各光ケーブルがその箇所の木の枝の中を通っている状況になった。光ケーブルが見た目細く何となく弱そうに見えて、私は大風や台風のとき枝が揺れて損傷を与えないかと気になってしまった。

そこでその道路に接する家のひとに一緒に道路脇の電線を埋もれさせている木の枝を切ろうと誘い、木の上端が電線下1mくらいの高さになるように枝切りをした。枝切り作業は私がしたのだが、さすがに私は脚立の上に立つのは不安があるので脚立の中間高さくらいに上って購入していた柄の長さを調節できる枝切り用鋸で枝切りをした。これで大風や台風で心配する損傷の可能性は大分低減したのではないかと思われる。その個所から下流の利用者は8軒はある。わが家からその枝の箇所がよく見えるので気づきやすいので何となく私が動いてしまうのだが、他のひとたちが気になっていなかったのなら私が神経質すぎるのかも知れない。

なぜ私が神経質になるかと言えば、2014年台風で家の近くの高圧電線が切れたことがあるからである。電柱間の木々が茂っている中を電線が通っているところがあってその木々の枝が大風で揺れて断線させたようで、そのあとJAの電気係が大々的に線の下の木々を伐採してくれたことがあった。それで電線に木の枝が当たっている状況をみるとそれを思い出して気になるのである。



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屋久島方丈記・日誌編:
  No.247  台風18号_高圧電線断線  (2014.10.06)

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2020年2月17日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.566」の記事です。

原因はいろいろあると思われるが、最近気になったことがある。昨年食事管理を試み初めのころ大分食事量が減ったせいか便秘気味になって、それまで毎日便通があったのに便意がしなくなり便通が遠のいてしばしば相当に力んでやっと排便するようなことが続いたときがある。その後便秘について何冊かの解説本を読んで改善に努め、いまはそれなりの便通に戻っているのだが、便秘気味になってまだ改善されなかったころのことである。

安易に浣腸してみようという気になって、イチジク浣腸を購入し使用してみた。使用した後水分不足になったのか肌がカサカサになった感じになった。なんか変だなという気がしたのだが、そのあとのしばらくして血圧がかなり高くなったりあるいは乱調になった感じで日々の変動も大きくなった。

そして思い出したのだが、何年も前の人間ドックで受診後血圧が高くなりその原因はと病院職員にデータを添えて質問して梨の礫だったときのことである。そのとき私はコリン剤のような薬剤を疑っていたのだが、今回大腸検査前の下剤使用が原因かもしれないという気がした。浣腸からの類推である。

そう思うと、以前から人間ドック受診後血圧が高くなる傾向があった。受診は例年10月末か11月初めだったのでそのころから春先までそういう傾向が続いて暖かくなると改善されていくので、寒暖差アレルギーかもとか理屈をつけて納得するようにしていたのだが、下剤の使用が切っ掛けで発生していたのかも知れない気もして来た。下剤を使用した後腸内状態のバランスが崩れるのが原因でそれが回復するのに数ヶ月かかるということかも知れない気がして来た。

また人間ドックも受診していないある年、血圧がやや高めに推移するようになって11月に医師が高血圧の薬を追加してくれたことがある。そのとき1錠服用して体調がおかしい感じがして止めたのだが、そのあと血圧が高くなり例年のように春先までそういう傾向が続いた。合わなかった薬がトリガーとなり自律神経が乱れてしまったのかも知れない。そういうことなら下剤もトリガーとなるということかも知れない。腸内環境なのか自律神経の乱調なのかあるいは他の原因があるのか、なにしろ私は冬季になると血圧が高くなり春先まで続くので、何でなのかと毎年悩ましい思いをし続けている。



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  No.393  血圧_ここ何年か年末から春まで断続的に大幅高  (2017.03.13)
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2020年2月10日の「屋久島方丈記・日誌編:No.565」の記事です。

昨年の年末近く、庭で何気なしに電線引き込みポールの方を見たら何となく違和感があった。よくみると1~2mの高さから上が少し南側に傾いている。そこで見に行ったら2mくらいの高さにあって使っておらずめくらにしてあったプラスチックの配線引き出し口が柱管が錆びて脱落して管側の穴がむき出しになっていた。そしてそこがそうなる前から雨水がしみ込んで管内が腐食していたようで、その穴の下方に長さ50cmくらいの長穴も開いていた。そして台風などの強風によるためか、その部分から上が穴の開いている方に傾いていることが分かった。


左:ポールの傾いている状況
            中:配線変更前の電力線と電話線
                    右上:近い電柱から軒部へ電力線引き込み後
                      右下:電話線引き込み変更後(手前側)


そのポールは敷地の隅にあり、そのため建物のそばの電柱からではなく少し離れた電柱から電線などを引き込んでいる。私は家を建てるとき家に最も近い電柱から直接家に引き込むと思っていたのだが、確認したときは大工さんがもうポールを設置してしまったということで追認したものである。本来は建物から遠い電柱よりは近い電柱から引き込むのが当然だと思っていたのだが、大工さんがどうして合理性のない判断をしたのか分からない。その釈然としないポールがここに来て腐食損傷する気配になったので、私は電線引き込みを当初思っていたように建物に近い電柱からにするよう変更工事をしてもらうことにした。

以前JAの電気係からわが家で変更つなぎ部を用意すれば配電線の変更をしてやると言われていたので、電器店に家側の工事を依頼した。そして電器店が電気係との連絡も取ってくれるということになった。そして初日は電気メーターから配電線とのつなぎ部までの屋内も通る配線工事をまずしてくれて、翌日電気係の配電線引き込み変更工事と並行してメーター配線変更をしてくれて変更工事は終わった。旧いポールも電器店で切断・撤去してくれたのだが、切断時断面を見てみたら管内が錆びで穴が開いていない部分でも管の肉厚がかなり薄くなっていたところがあった。

ポールは以前電力線と電話線とテレビケーブルの引き込み箇所になっていて、そこから地中配線で家に来ていた。テレビは昨年別配線の光ケーブルになってポール経由の同軸ケーブルは使用しなくなっている。電話線については何年か前のあるとき電話の調子が悪くなりNTTが電話線交換をしようとしたところ埋設管が潰れたか、線が通せなくなっていたのでポールから軒に空中配線するよう変更した。ポールを撤去するとなるとその電話線も引き込み変更しないといけないので事前にNTTに変更工事を依頼していたのだが、電気工事の初日に来てくれて変更工事をしてくれたので、ポール撤去のタイミングを心配することもなかった。



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  No.55  スズメの巣とヘビ  (2011.06.20)

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2020年2月3日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.563」の記事です。
                   
昨年末のニュースで2019年生まれが90万人割れしたと政府が発表したと報じていた。そして今年の初めころ見たそれに関する見解を述べたあるブログ記事が私の持論と似ているところがあった。以下は、そこに出ていた情報を受け売りしながら自分の持論を再確認してみたものである。

出生数90万人割れが問題だと言っている印象があるが、比較的に数の多い高齢者が亡くなって数の少ない出産可能女性がいままでのように子供を産んでも、亡くなる数より出産数が少なくなるのは当然の成り行きのように思える。1960年代から2018年の出生数は、大方結婚した女性一人当たり1.8人程度で近年極端に出産状況が悪くなったわけではないらしい。

そこで単純な考えでは、既婚者がもっと子どもを産んでくれれば出生数の増加を期待できるということになる。それはもう少し状況の来るところを遡って考えれば違って来ると思われるのだが、そう単純に考えるひとたちは産まないのは子育て環境が悪いからあるいは支援が少ないからだと考え、少子化は子どもが育てづらいのが原因だから政府は子どもの養育費にお金をもっと使えという主張をする傾向にあるようである。

しかし、出産可能年齢の女性が減っているので出生数は当然減る、そして亡くなるひとより生まれる子どもが少ないのだから人口は当然減る傾向にある。それに加え女性の社会進出で独身で生活できる女性が増えたことや女性の結婚年齢も上がって結婚していても子供を多く産めないことから出生数増加のスピードは落ちている。また女性が所得の低い男性と結婚するぐらいならば結婚したくないと思ったらその傾向は加速される。

だから、亡くなる高齢者人口が相対的に多い間は出生率が多少増しても人口減少は避けられない。それは致し方ないとしてもそういう時期が過ぎたあとも既婚者が子どもを産む率が上がっていても子ども人口が思うように増えないと思われる。その原因は女性が結婚しないあるいは男性が結婚できないという状況になって来ていると考える方が少子化の実態を捉えていると思われる。そういう理解の上からは出生数を増やすには婚姻率を上げることが答えということになる。結婚した女性一人当たりの出産数がそんなに増える状況にないなら結婚した女性が増えてくれないと辻褄が合わないわけである。

ところで経済力のある男性以外は結婚できないとなれば、その相手になる女性にも結婚できないひとが出て来る。経済力のある男性が複数の女性と結婚・離婚を繰り返してもその数に限りはある。また女性が経済力があって経済力に劣る男性と結婚することも稀にしかないと思われる。また社会進出した女性がそれなりの男性と結婚しても共稼ぎで仕事を続けるとなれば結婚年齢の上昇傾向のある現状ではいままで以上の出産数を期待できない。

そういう状況下で、出生数を増やすため婚姻率を上げるにはどうすればよいか。私がフェミニズム論者から非難されることを承知で言うならば、まず最優先は一家を養えるように男性の就職の確保・安定と所得を上げることである。また政界、経済界を含め日本としては男女が誰でも互いに望めば結婚出来、結婚したら憂いなく子どもを育てられる国にすることである。そして勿論ひとりの女性が多くの子どもを産み育てるにはやはり母親が安心して子育て出来る支援環境(有職者あるいは専業主婦であるにかかわらず)を整えることも必要ということになる。そうすれば女性が若くして結婚し子どもを何人も産んでくれる可能性も増えて来る。働く女性・母親の子育て支援と言って保育所増設ばかりでは能がないと思われる。



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2020年1月27日の「屋久島方丈記・日誌編:No.562」の記事です。

わが家のそばで気になっている道路箇所がある。一つはコンクリ舗装が浮き上がってきているところである。もう一つはコンクリ舗装の部分沈下箇所である。浮き上がり箇所は車の移動に問題が出るようにならないかと心配である。沈下箇所は車の往来に支障が出るのに加え、わが家が揺れる原因となっているようで気になっている。

まずは一つ目は、道路舗装の浮き上がり箇所についてである。
農道から下って来てわが家の脇を通って海の方へと続く里道のわが家の駐車場入り口近くの箇所である。その個所が何年か前からだんだん浮き上がって来て、最近は割れが進んで段差になったりへこんだりして来ているのが気になっている。宅急便や前の家に来る幼稚園の送迎車が転回するときに、出来た段差でがくんと来たり乗った重みで舗装が陥没したりしないか、そしてまた家の補修をした際自分の車を脇の道に退避するときに車の底を擦ったりしそうな感じで気になった箇所である。

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割れて浮き上がったコンクリをどけてみたら太い木の根が這っていた。それがコンクリを持ち上げコンクリが耐えかねて割れたようである。この根がもっと成長するともっと広範囲が影響を受けるのではと思い、とりあえずどかせる一部の割れたコンクリの下に通っていた木の根をカットした。そして割れたコンクリを穴にはめ込んでおいた。他の浮き上がりつつある周辺の箇所もあるがそこの下にも他の太い根が通っているものと思われる。

根がどのように舗装下にはびこっているか分からないから、とりあえず浮き上がった部分だけでもコンクリをはがし土砂で埋めてもらったらよいかなと考え、わが家の地区の世話役をしているひとの店に自己負担するのでやってもらえないかと相談がてら依頼した。多分即応とはいかないだろうが、そのうち見てなにがしかの対策をしてくれるのではないかと思われる。

もう一つ目は、わが家の前を通り他の家に通じる開発業者の造成した道路で過去に陥没があり補修した箇所が沈下して段差ができている箇所である。沈下は問題だが、今回私が気づいたのは、わが家が長年煩わされている家の揺れの原因が舗装の仕方によるのではないかということである。これについては
車通過時の家の揺れ_敷地と道路舗装の縁切り必要
という記事にしてある。


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屋久島方丈記・日誌編:
  No.423  道路沈下をコンクリートで補修  (2017.09.25) 

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2020年1月20日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.560」の記事です。
                   
1月11日NHKスペシャルの「認知症研究の第一人者が認知症になった」という番組を見た。この一年長谷川さんとその家族の姿を記録し続けてきたドキュメンタリー番組である。その番組を見てから、ネットで放送や本人の関連記事をいくつか見てみたのだが、以下番組と記事から私が印象に残った内容(・印)とそれに関する感想(・・印)である。感想は20年くらい前に93歳で当地で亡くなった私の父の言動と絡めて思ったことである。

・ 認知症になったら、不確かな状態がずっと続くと思っていたが、正常な状態も確かに存在し、話せないときは言葉が分からくなっているからではなく、自分の言葉に自信がなくなり、殻に閉じこもってしまうからだということである。認知症になったら、何もわからなくなるということはない。心は生きている。嫌なことをされれば傷つくし褒めてもらえばやはり嬉しい。認知症の人も自分と同じ一人の人間としての存在である。

・・ 私たちが時間をとりたいということもあって、デイケアに週に2回くらい行ってもらっていたのだが、行きたくないと言うことがあった。自分が興味もわかないことをやらされるのが嫌だということらしかった。子供を遊ばせるようにたわいない遊びを押し付けられるので面白くもなんともない。バカにされているようで嫌だということだったようである。

・ 認知症になって初めて身をもってわかったが、認知症は固定したものではない。変動する。調子のよいときもあるし、そうでないときもある。調子のよいときは、いろいろな話も、相談ごとなどもできる。ひとたび認知症になっても、もうだめだ、終わりだ、などと思う必要はない。周囲も、何もわからなくなってしまった人間として一括りにして見てはいけない。存在を無視されたり、軽く扱われたりしたときの悲しみや切なさは、つらい体験がもたらす苦痛や悲しみは、認知症であろうとなかろうと同じように感じている。

・・ 夏になってある夕食時ビールを飲んだのだが、翌朝寝糞をしていたことが何回かあった。それで以後本人が飲みたいと言っても寝糞をするからと飲ませなかった。またトイレで便を散らかしたことがあって、それを私が掃除したことがある。その様子を見ていたようで、またそういう状況になったとき真似して適当に自分で掃除し、そのとき手に便を付けたまま壁を伝い便を擦りながら部屋に戻ったことがある。トイレを汚しても言ってくれればよいと言ったのだが、自分のしたことを隠したいらしくその後も言うことはなかった。入院しているときにも寝糞をしたらしく汚れたパンツを隠れて処分しようとトイレに流し、トイレが詰まって水があふれ廊下まで流れてそれが分かったことがあった。粗相をしたことが恥ずかしいという思いはどんな時でも残っていてひとに言われたくなかったようである。

・ 認知症の人と接するときはまず、相手のいうことをよく聴いてほしい。自分からどんどん話を進めてしまうと、認知症の人は戸惑い、混乱して、自分の思っていたことが言えなくなる。他にしたいことがあってもそれ以上は何も考えられなくなってしまう。だから「今日は何をなさりたくないですか」といった聞き方もしてほしい。そしてその人が話すまで時間がかかっても待ち、何をいうかを注意深く聴いてほしい認知症はやはり、本人もそうとう不便でもどかしくて、耐えなくてはいけないところがあるから、きちんと待ってじっくり向き合ってくれると安心する。認知症の人は、同時にいくつものことを理解するのが苦手です。一度にいろいろなことをいわれると混乱して、疲れの度合いが深まる。同じことを伝えるにも、なるべくシンプルにわかりやすく一つずつ伝えてほしい。

・・ デイケアに週に2回くらい行ってもらっていたときの別のはなしだが、風呂に入れてもらうときもたもたしていて怒られていたようである。それもデイケアに行きたくないと言っていた理由の一つの様だった。父は難聴で障がい者手帳を貰っていた。また当地の鹿児島弁は私たちでも理解できないときがあって聞き返すくらいだから父には言われたことが理解できなかった可能性もある。それで担当者が何か言ってもよく聞き取れないから適当に返答したり適当に反応したりしていたのではないかと思われる。家では私が風呂に入れていたのだが、デイケアでは怒られたりするので入浴は嫌がっていたようである。それを知らず連絡票に嫌がっても風呂に入れてくれと書いたことがある。

以上、私が思い出した父の反応をこじつけてみた。放送で長谷川さんがデイケアを嫌がっていたのが印象的だった。診療をしていたころ患者にデイケアを勧めていたのは間違いだったというようなことを言っていた。やらされることに関心がない、面白くないということのようだった。いま思えば、父の場合は何にも感じないあるいは何にも考えていない人間として言葉や振る舞いは優しいが子どもみたいに取り扱われることに内心拒絶感を持っていたようである。また状況をよく見る感覚は衰えないようで、入院中にはここの看護婦は素人だねと看護婦の対応の悪さあるいは仕事スキルの低さを訴えていた。都会の病院に入院していたときと比較してのことかどうか分からないが、病院に関し言うことと言えばこれだけだったからかなり嫌な扱いだと感じていたようである。再三それを訴えていたのだが、私はむかしの気遣いをするやさしい父らしくない言葉に認知症だからそう言うのかと取り合わないでやり過ごした。だが、いま一人の人間としての普遍の感情の存在をこれに限らず受け止めていなかったことを悔やむ気持ちになっている。

(補足: 高齢者に認知機能検査とか高齢者講習はストレス)
長谷川さんが診療をしていたころ患者にデイケアを勧めていたのは間違いだったというようなことを言っていたのだが、運転免許の認知機能検査もそれを勧め定めた健常者が認知症になって、そのとき本当にそれが有効なのかと疑問を持つことはないのかと気になった。認知症のひとにも健常者同様の移動の権利を保証するために、車の機能とか社会環境の改善にもっと注力したらどうかという気になる。

高齢になって思うが、認知機能検査とか高齢者講習とか、かなり自分にはストレスである。半年くらい精神的な拘束感がある。私は運転技能があるものには年齢に限らず免許を与えることを基本にしたらよいと思っている。いま運転挙動をモニターして運転挙動に応じた保険料にするテレマティクス保険というのが販売されているが、自動車に運転免許証挿入型認知機能モニターを装備しデータを運転免許証に記録するようにし、免許更新時にそのデータと違反記録に応じ運転条件に制限を加える、最も厳しい場合は免許取り消しをする、というシステムにするのがよいという気がする。

問題は運転免許証挿入型認知機能モニターで何をモニターしどう判断するかだが、認知機能と運転挙動の関係が分かっていま認知機能検査をしているならそれは当然分かっているだろうから、さっさと法制化して欲しいものである。



(関連記事)
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
  No.261  免許更新時認知症診断義務_高齢者は邪魔  (2015.01.19)
  No.413  認知機能検査_危険運転するかもと高齢者対象  (2017.07.24)
  No.515  高齢者自動車事故_免許規制論はなやか  (2019.04.28)

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本ブログは、屋久島移住5年くらいして始めたHP:「My logbook:屋久島生活の断片」(2000.05~2010.05)と、そのあとを引き継ぎいまに至るHP:「My logbook:屋久島方丈記」(2010.06~)における「日誌編」や「偏見ご免のたわごと編」の中から、最新記事あるいは最近の出来事で思い出した過去記事と、その関連記事を紹介しています。

2020年1月13日の「屋久島方丈記・日誌編:No.559」の記事です。

昨年食事管理を試み始めたのだが、血液検査の結果から医師に塩分を控えるだけの注意でよいのではと言われ、いまはカロリーと塩分を気にした食事管理をしている。そういう食事管理を試みて来た過程で食材などの重量を計るスケールがいままでの最小単位1gでは調味料などおおざっぱすぎて役に立たない。それで粉寒天に同梱だった容量1gというプラスティックの小スプーンから適当に目分量で取り出してやっていたのだが面倒くさい。


              スケールと右上のスプーン3セットが新規購入品

そこで妻の要望もあって、鹿児島に行った11月にある店で最小単位0.1gのスケールを購入した。ついでに目についた計量スプーンセットも液体用と思われるステンレス製と粉用と思われるプラスティック製を購入した。そのあと別の店ものぞいたら自分が欲しいと思っていた最小スプーンがついているステンレス製があったので私はそれも購入してしまった。それで家には計量スプーンがいままであったものと合わせかなりの量になってしまった。そして使用状況はと言えば、妻は慣れた今までのものに手が行って小容量のもの以外新しいものの出番は少ない感じである。

計量カップはいままでのステンレス製2個を使っている。柄が長いのと短いのがある。私は柄が長い方が使いやすいのだが置いて使用するときはその柄の重さでちょっと倒れやすい。それに注意して使わないといけないので私は柄の長い方はなるべく手に持って計るときだけ使うようにしている。

こんな感想を言っていると私がよく食事を作ったりしているような印象になるが、食事のメニュー選び、食材調整そして調理とほとんど妻がやっているわけで、私はときに手を出す程度だがそれでも邪魔になると言われることしばしばである。私が主にやっているのは妻が選んだ既存メニューに食材変更を加えたメニューのカロリーや塩分などの再計算と毎日の合計計算である。そして体調を見ながら必要なら目標見直しをしたりしている。そしてそういうわが家の食事管理はいまのところこれからかなりずっと続く見通しである。妻には迷惑をかけることが続くわけである。



(関連記事)
屋久島方丈記・日誌編:
  No.550  食事管理をし始める_排便状況の変化に悩む  (2019.11.15)

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