屋久島生活の断片 / 屋久島方丈記

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2020年1月6日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.558」の記事です。

「これからの時代」
自分には関係ないが、私も子や孫がいるので少しは気になるはなしではある。

昨年12月も末のころ読んだある有名ブログで、日本ではこれからが本番のようだが、いま世界中リストラの時代に入っているとのことである。その中でどれくらいが該当するのかよく分からないが、主にサラリーマンのような人たちについてのはなしのようである。これからは「言われたこと・指示されたことをやる時代から、なにをやるべきか自分で考える必要のある時代」、すなわちいわゆるホワイトカラーのオフィスワーク力が決め手の時代から自分の発想力とその構想実現力が求められる思考の時代になる。そしてその人材の入れ替えのためにリストラが加速されるようである。

また「次の時代に生きていけるのは、研究レベルの探究心を注ぎ込める専門性を持つ人や、時代の波を見極めて新しい価値を人に先駆けて認知していける人」ということだが、そういうひとは限られていると思われ、いわゆる普通のひとは「まずはマーケット感覚を鍛える」、つまりは感受性を養い世の中の動向に敏感になりその時代あるいはその先の将来に求められるものを察知出来る力を身につける努力をせよと言うことらしい。そうしないと次の時代生きて行けない、つまり後塵を拝する生き方をしなければならなくなるということのようである。いわゆるこれまでのただ勉強ができるひと・子ども、あるいはそういうひと・子どもの育て方はこれから通用しなくなるようである。

ここで、はなしは別のネット記事のはなしに変わるのだが、上記の「言われたことをやるだけ」というはなしに通ずるはなしではある。

「文脈を読めない」
これは昨年のことと言っても何ヶ月も前のことだが、見かけたネット記事にSNSが世に広まったせいか、あるいは関連リンクのないブログ記事などが大勢を占めるようになったからか、ただ言ったり書いてある言葉やその一部あるいは言葉尻を捉えて共感や異議を唱えるような反応が多くみられるようになって、文脈を読み取って言いたいことは何かと深く理解して論議する姿勢が世の中で薄れて来ているのではないかという指摘があった。以下、そのネット記事の感想だが、私自身文脈を読み取っていないと指摘される恐れ無きにしも非ずではある。

私が小学生のころある教師が、他校でのはなしだがと言って掃除のとき廊下の汚れがひどいところを指してここをきれいにしろとある生徒に言って頼んだのだが、後刻その場に行ったらここと指した場所だけ地の木材が白く見えるようになるまで雑巾で擦ってあって周辺は元のままで普通の掃除もしてなかったというはなしをしてくれたことがある。教師はただ言われたことをその言葉どおりにしか受け取らず言った言葉の含む意味にまで思いが至らない、そういう人間ではだめだということを伝える例として話してくれたのだが、以後クラスでは掃除のとき床の一ヶ所だけを磨き込む遊びが流行った。

私は文脈を読まない傾向を指摘する記事を見て、むかしのこのはなしを思い出したのだが、ある会社時代何かを頼むとそれに関係する事柄まで考えて対応してくれる人間がほとんどだったが、たまには言葉に出して頼んだことそれだけをそれが関連することとのバランスや整合性を全く考えずやるだけの人間もいた。あるひとりは周囲とうまく行かず転職したが、転職先でも周りとの連携もうまく行かずまた退職したというはなしを聞いたことがある。

私は一概に文脈を読まない言動をすることを難じることはない、ひとにどう思われようとケースバイケースで自分の意志で態度を使い分けるひとはいるし、そうすることが必要な状況もあるとは思っている。それでも記事の言うように私もメディアやその記者連中にまで文脈を読まずあるいはそれを知らず、ただ目の前の動きや文章や言葉の一部を切り取ってその印象で報道したり論評したりすることが目につくような傾向は強くなっている印象はある。

最近についてはSNSなどによる社会の環境がそれを助長したとなれば、程度の差はあれ文脈を読まないあるいは読めない素養の人たちはそれが出現する以前から存在していたわけで、そういうひと達に影響を与えた環境は何ということになるが、私はその一つは育った家庭あるいは親の言動の在り方なのかも知れない気がしている。



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  No.333 ツイッター試用感想のこと  [H22(2010).03.03]
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  No.493  AIには苦手らしい_長い文章の読み書き  (2018.12.10)
  No.556  「いいね」止める_ひとが変わらない限り他を見つける  (2019.12.20)

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2019年12月27日の「屋久島方丈記・日誌編:No.557」の記事です。

年とってきたせいで何年も前から、友人などから喪中のハガキが届くことが続いている。そういう状況は友人などでも同じようで、ここ数年の間にある友人からは年賀状に替えて年末に近況報告のハガキを出すことにしたとか、ある友人は今後喪中ハガキを出さず年賀状も止めることにしたとかいうハガキが届いたりしている。

私は喪中ハガキを出して年賀状を出さない年が続くとか、喪中ハガキが来て年賀状を出さない年が続くというような状況があっても、年に一回くらいはご挨拶をしたいと思い、昨年から年賀状を止め年末に一年の出来事のいくつかの報告を添えた挨拶状を一方的に出すことにした。

年末のただの挨拶状としてなら当方や相手方が喪中であっても、毎年ご挨拶したいと思っているひとに気兼ねなく年に一度の便りを出せる。そしてまたあと何回出せるか分からないとなれば、年に一度の便りを考えそれをハガキにして出すことが出来るのは自分の喜びであり、楽しみでもある。



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戯れ歌(漢字混じり表記)
  残照の 未だ消えずと 師走来て 文にて告る この年のこと


補足: タヌキの処分について
捕獲したタヌキは役場の指示で猟友会のひとに引き取ってもらいました。



(関連記事)
屋久島方丈記・日誌編:
  No.496  今回から年賀状は止めて年末に挨拶  (2018.12.31)

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2019年12月20日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.556」の記事です。
                   
12月初週のある日あるテレビ番組であるSNSが「いいね」を止めるという話題を放送していた。何かをやりながら音声だけを聞きかじっただけなので、いまテスト中のものを本格化するのかあるいはただテスト中であるということを話題にしたものか定かでない。ネットで見た限りでは11月にテスト開始したという記事しか出ていないようだから多分遅ればせながらそのことを話題にしたのかも知れない。

私は「いいね」についてはあまり好ましい機能だと思っていない。他人の評価で生きることに支配される人間を作り出す機能みたいな印象を持っているし、その機能に操られてひとの評価ばかり気にしているような人間にあまり魅力を感じない。他人の評価で生きる商売の人間は別にして、そうでない人間は自分の納得する在り方・生き方に努めた方がよいのではないかと私は思っている。「いいね」と言われることを目的にするのではなく、嫌われても他人に迷惑をかけず自分の在り方・生き方を追求してこそ幸せだと感じる人生になる。その結果「いいね」と評価されるならば御の字だと思われる。

放送を聞いていたとき、妻が「いいね」ねらいと似ているのではと勘繰っていることがあると言った。先日趣味関係で調べたいことがあってネットを見ていたらあるサイトのひとが本も出していてタイトルが幸せになる生き方みたいなものだったのでうさん臭く思ったそうである。そのあと妻がネットで調べた結果について友人に電話した際、そこのひとが幸せになる生き方というような本を出しているというはなしをしたらその友人が言うには、そんなことひとに決めてほしくない、余計なお世話よね、幸せなんてひとそれぞれでひとに言われたくないよね、ということだったそうである。

私は幸せになるという意味は、自分の思うように生きることに尽きるという気がしているので、誰が書いても結論は同じような気がしている。何となく何年か前に読んだ「嫌われる勇気」という本ではひとに嫌われても自分の生き方を貫くことが幸せに生きることでそうするための自分の意識の持ち方を説いているように思ったのだが、その本も同じようなことを書いているのではないかという気がしている。私はその本を見ていないので内容については分からないので、もしわたしの想像と違ってひとの評価を当てにする「いいね」志向のものでその具体的な内容が自分のやり方の正当化主張であったりひとに受ける行為・行動の仕方を指南しているのであれば要らぬお世話ということかも知れない。



(関連記事)
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  No.235  愛されるのこと  [2007(H19).01.22]


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2019年12月13日の「屋久島方丈記・日誌編:No.555」の記事です。

アサギマダラという蝶は屋久島で春と秋ころに見かける。日本本土から秋に越冬のため南に渡るということである。そして南で繁殖羽化したあるいは越冬した個体は春に本土冷涼地での繁殖のために北上するということである。そして私が春と秋のころ農道わきの草花の蜜を吸っている姿を見かけるのは、渡りをする途中屋久島に立ち寄った蝶のようである。あるいは日本本土の太平洋沿岸の暖地や中四国・九州では幼虫越冬するものもいるようなので屋久島で越冬するものもいるのかも知れない。


左:4月撮影のアサギマダラとセンダングサ  右:11月撮影のアサギマダラとヒヨドリバナ

アサギマダラを見かけるころになると、散歩で農道を行くとアサギマダラがひらひらと飛んでは花で吸蜜しまた飛ぶのを繰り返している姿をよく見る。農道わきの草花の蜜を吸っているようだが、私が見たところでは春にはセンダングサ、秋にはヒヨドリバナで吸蜜している。そして特に秋にヒヨドリバナに多くのアサギマダラを見かけたことが多かったが、最近私が散歩で通る農道ではアサギマダラを見かける機会も少なくなった。気象の影響か除草のためか知らないが、農道の脇のあちこちに一杯見かけたヒヨドリバナが少なくなっている気がしている。



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2019年12月6日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.554」の記事です。

桜を見る会をめぐる国会での状況を見ていると政府や関係官僚は大変だなと思ってしまう。私のその印象の当否は別にして、状況的には勘繰りを誘う事態であるとは感じている。その分けはある種のウソについて私が次のような見方をしてしまう傾向があるからである。

一度ある事態で本当のことを隠しごまかし押し通すと、その事態に関連する物事がすべて消滅するまでその物事に関連する新たな事態が発生したとき以前のごまかしを前提とした対応をとらなければいけなくなる。以前のごまかしと整合性をとった対応は大方またごまかしをしないと成立しない。そして新たな事態が発生するたびにそれ以前のごまかしを前提とした対応すなわち新たなごまかしを積み重ねていくことになる。回を重ねるごとにごまかしに苦慮することになる。事態の真相とごまかし対応の乖離の経緯を記憶し続けて何とかごまかしの解を見つけるのも大変な苦労である。また担当が変わっても破綻しないようその経緯を維持管理するのも大変である。

私にも経験がある。不具合などが発生して顧客に虚勢を張って(ある種のウソのようなもので言い逃れて)そのときは切り抜けても、また同根の問題が形を変えて持ち上がると前と今の辻褄合わせに苦労する。それが何度目かになると記憶力(いままでどうウソをついてきたか憶えている)と技術力(今回も虚勢を張れて問題にも有効な対策を考える)と論理構成力(前のウソと今の虚勢を張れる対策の辻褄を合わせる)と度胸を総動員して当たらずといえど遠からずというウソのようなものを上塗りしていくのだがそれはつらいものである。いつか破綻するのではという思いに苦しんでいたものである。

以下、上記のはなしに関連しての訳本・反日種族主義を読んでの感想の一つである。本が言っていることから考えるに、韓国については自分たちの思いに合わせて都合よくごまかしてウソの歴史を作ったがために、何かあるとそのウソに合わせて新たな対応をしなければならない状況にあるように思える。そのウソを信じ切っている国民の前にそのウソと整合性ある対応をするために今までのごまかしを前提とした対応をし続けなければならない。だから韓国も大変である。

自分たちのあって欲しい歴史を自分たちで書くのはむかしは可能だったかもしれないが、全世界から歴史研究が可能ないまの時代、外の歴史研究が明らかにする歴史の事実によって、自分たちのあって欲しい歴史のウソを暴かれる日がいつか来る。そういう指摘の事実を自分たちのウソに合わせたこじつけ解釈で辻褄を合わせをし続けても綻びは出て来る。本ではそうならないためにも韓国については反日種族主義を克服することが必要だと言っているようである。似たようなことは共産党一党支配の正当性が前提の中国にも言える。中国もその正当性主張を覆されないように常に相当対応に苦労していることと思われる。



(関連記事)
屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
  No.87  ウソをつくこと  [2002(H14).02.11]
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
  No.552  訳本・反日種族主義_日本語版序文が印象的  (2019.11.22)


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2019年11月29日の「屋久島方丈記・日誌編:No.553」の記事です。

わが家では今年4月7日にスズメバチトラップを仕掛け始め、4月19日にオオスズメバチが初めてかかった。それ以降キイロスズメバチは1頭だけだったがコガタスズメバチ、ヒメスズメバチがそれなりに多くかかった。そして11月半ばになっても10月27日のコガタスズメバチを最後に掛かっていない。ここ何年かの実績を見ればわが家の今年のスズメバチシーズンは終わったようである。
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実績は、オオスズメバチ31頭、コガタスズメバチ34頭、ヒメスズメバチ17頭、キイロスズメバチ1頭の合計83頭である。いままでで最低は2016年だったが、今年はそれに次いで少なく私としては庭にスズメバチの羽音を聞いた記憶が残らない年だった。これがスズメバチトラップを仕掛けた目的が果たされた結果なのか気候の影響なのかよく分からない。しかしスズメバチトラップを仕掛け始めた10年位前から比べればわが家に出回るスズメバチは大幅に減ってきているとは言えそうである。


(参考記事)
屋久島生活の断片・日誌編:
  No.269  スズメバチトラップのこと(1)  [2009(H21).06.01]
屋久島方丈記・日誌編:
  No.517  スズメバチトラップの掛かり始め_2019  (2019.05.06)


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2019年11月22日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.552」の記事です。

7月に韓国で刊行されベストセラーになった「反日種族主義(李栄薫編著)」という本が文芸春秋から日本語訳されて出版されたので早速購入し読んでみた。反日事例に対する見方は、これまでに私が見聞きした本や解説記事などでほとんど知っているような内容で自分の認識とあまりずれていない。

私がこの本で印象に残ったのはまず日本語版序文である。この本は李承晩学堂が企画し刊行したということである。この学堂は李承晩の一生を再評価し彼の理念と業績を広く知らしめるために設立された機関であるということである。私は反日の起源の一端は李承晩にあると思っていたので、彼を尊崇する機関が彼の政策を批判する趣旨の本をなぜ刊行したのかというそのわけが書いてあるところが一番重要な点であると感じた。

李承晩は自由という理念を体系的に理解した最初の韓国人だった。そして韓国を自由人の国にしようとした。一方戦後日本が再び韓半島に再び足を踏み入れることを極度に警戒し、そうなることに繋がるかも知れない米国の東アジア政策に反発し、日本との葛藤を極大化した。その反日政策がいまも尾を引いている。そして李承晩学堂は彼の理念と業績を再評価する活動をするのが設立の趣旨だが、その活動には彼の残した負の遺産を克服する活動も含まれているのだそうである。その一つがこの本の刊行だということのようである。

李承晩が極大化させた反日葛藤で助長され反日種族と化した韓国が李承晩の本来目指した自由人の国になることを願っての憂国の書として刊行されたようである。



(関連記事)
屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:
  No.383  慰安婦合意は韓国の日本への公開証文でもある  (2017.01.09)


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2019年11月15日の「屋久島方丈記・日誌編:No.550」の記事です。

以前からかかりつけの医師からは血圧が高いので塩分を控えるようにとか適度な運動をとか言われている。それで塩分は控えて来たのだがある値あたりで高止まりである。また5年くらい前、期外収縮で夜中に医院に行ったのだが、その翌日血液検査したらクレアチニンが高いので注意と言われた。そしてそのとき期外収縮に処方された薬の影響かその値がその後若干高くなりここ数年高くなったその値あたりにとどまって変化ない。それが気になって食事管理をしてみようという気になった。医師の言う注意という言葉に私は食事管理以外思い浮かばなかったからである。
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まずはCKD 3b相当の基準でと始めたのだが、食事量は相当減ることになった。それを続けて二ヶ月、そして尿と血液の検査をしたのだがeGFRはほぼ変わらず、他の検査値は以前ややオーバーしていたものも含め全部正常値範囲になった。これが食事制限の効果のようである。医師の見立てでは、尿は蛋白も出ておらずきれいだから血圧が高いのが腎臓に影響していると考えられ腎臓機能が高齢になり落ちてきているのと相俟ってeGFRが低い身体になっているということのようである。そして蛋白質はそんなに気にせず塩分に気を付けた食事でよいのではないかということだった。

そこでそのあとは高齢者食事基準の食事を心がけ塩分については6g以下にすることとした。それでも食事量はCKD基準のときより少し増えた感じがするだけだから、食事管理し始める前私はかなり食事の量が多めの生活をしていたということのようである。食事管理し始めてから程度の変化はあったもののそれまではなかなか消えなかった吹き出物が消えたりしているので、食べ過ぎしなくなって身体によかったという気がしている。

一方食事量が減ったためか、毎日あった便通がない、すなわち毎日は便意を催さないようになった。便になる食べ物の量が減ったためと思われるが、便意のない日が続くと便秘になったかと気になってしまう。便が一定量溜まらないと便意が起きないらしいのだが、まだそれに慣れない。本などには高齢者になると少食になるので便秘を訴えるひとが多くなるということが書いてあるが、一応の高齢者である私はいまのところ便秘なのか溜まってないのか悩まないですむ心境にまだ到達できていない。

補足: 食事管理で妻は大変
食事管理をするとなれば、献立の栄養成分を数値管理する必要がある。そして一日ごと基準量に合わせるように食事を作らなければならない。今回はレシピ本を買いそれを基準に少々アレンジするだけだったが、それでも三食それぞれ何を作るか数値を考え料理することは大変な苦労である。一応私が数値計算の役割をしたのだが、私とやり取りしながら無い食材の代替を調節するなどかなりの負担である。レシピ本は数多くあるようだが、実際食事を用意するにはその通りとはいかない。食事制限あるいは管理が必要な人たちは大変苦労しているのではないかと思われる。



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2019年11月4日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.548」の記事です。
                   
10月27日の町長選で現職町長が僅差の43票差で三選を果たした。ある町会議員のブログによれば、選挙前に町長に関する疑惑告発文書が出回ったらしい。どうも贈収賄がらみのはなしのようである。まだ感情的・攻撃的やり取りには発展していないようであるが今後どう進展するか興味はある。こういうはなしは、もう次はないという選挙近くあるいは任期に入ってくると、次のことを考えた権力争いのうごめきが出始めるということの証なのかも知れない。

私はその記事を、10年位前に前の町長にも疑惑告発があったことを思い出して見ていた。その告発内容は今回とは性質が異なるが感情的・攻撃的言辞が飛び交っていたようである。以下はその当時私が書いてお蔵入りにしていた感想記事である。

(以下、10年位前お蔵入りにしていた記事)
私は町長の疑惑告発の動きについては距離をおいてどう推移するのか眺めている。軟弱者の私は正義を追求するにしてもあまりに感情的・攻撃的言辞に接するとそれに全面的に同調することを躊躇してしまうのである。以下の例は吟味不足とは思うがその感じを説明するのにいま思いついたその訳の一例である。

以前人権問題で有名な正義の味方と目される中坊弁護士が債権回収機構かなにかの責任者になったことがある。そしてそのときの取り立て方のあくどさで告訴され裁判で負け、その後本人もその非を認めたということがあった。

債権回収機構というのは言わば権力組織でもある。人権派として評価されるほどの実績を積んできた人でも、その権力を行使する立場になると権力を乱用してしまうことがあるということである。だから、弱い立場の味方・正義の人がその正義を主張して罪を追及するに感情的なあるいは極端な攻撃的態度を見せると、その正義の味方が権力を握った暁にはその魔力に取り憑かれはしないかと警戒心が働いてしまうのである。

あるいはまた国民がその主張に熱狂的に同調して小泉政権が誕生したが、その後の施政の結果はその期待に反して国民の苦しさが増すばかりの趣である。あまりに一つの正義の言葉に熱狂して選択した新たな権力が、隠していた意図をあらわにして自分たちに牙をむくときもあるのである。言うこととやることは別かも知れないから、言っている事実は事実として見ながらも権力志向の有無や狙いについて冷静に見極めなければという気が抜けないのである。

韓国の大統領を見てみれば、選挙で新勢力に切り替われば必ずのように前大統領の罪状が追求され罪人になったりする。権力を握ればその支援勢力・身内が甘い汁を吸うのは日本だって同じである。これは例えば自民党を支援している勢力あるいは団体がいて、なぜ支援するかと言えば自分たちに有利な行政をして欲しいからである。法の規を超えるか曲げるかすることはないとは言えないのである。政権が変わればそれが白日の下に曝される可能性はある。以前から町長疑惑は取りざたされていたようだが、今の時点で告発ということは町長がいま落日の時にあるのかも知れない。

大統領なり政権なり町長がその権力を行使してうまく立ち回るか否かは紙一重である。人は弱いものである。私もたまたまその権力が手に入ればその目的が私欲的であるか否かを問わずうまく立ち回るかもしれない。そういう私のような類の人間は、自分が手にできない権力を行使して疑惑を招いた人に対してはやっかみもあってか非難の仕方がひどく攻撃的になる傾向があるというはなしもある。私は自身にそういう傾向を否定できないから、意識して傍観者に徹し黙って見ていようとしている。見ての判断結果はこれも黙って投票行動で表すことにしたい。
(以上、10年位前お蔵入りにしていた記事)



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屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
  No.292  見えていないこと  {2008(H20).12.29]
  No.328  丈夫でないこと  [2009(H21).12.29]


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2019年10月28日の「屋久島方丈記・偏見ご免のたわごと編:No.547」の記事です。

最近町の放送でゴミ捨てマナーが守られていないと注意する放送がなされた。従来集落ごとにそれぞれ注意放送していたものが、一括して町の提示放送で流されるようになったのかも知れない。そう言えばいつからかわが集落での注意放送は少なくなった感じはある。

昨年から今年のいつごろまでだったか頻繁に集落放送でゴミの捨て方が守られていないという注意が流れていた。わが家でゴミを出す県道脇のゴミステーションに生ゴミが指定の自然分解する生ゴミ用ゴミ袋を使わずレジ袋で捨てられているとか、その他のゴミでも指定の袋が使われていないという注意放送が区長から頻繁に流されていた。またその他その曜日の収集対象でないゴミやそれらが混じっているゴミが捨てられているというような注意放送もあった。

ゴミは指定の袋に入れるか、指定のゴミステッカーを貼って捨てることになっているのだが、そうしていないゴミはゴミ処理費用の受益者負担をしていないことになる。また曜日指定を守らないとゴミ収集委託業者の仕事にも影響を及ぼすから普通はルールを守ってゴミ出しをするのだが、新規利用者がそれに不案内なのか、あるいは通りがかりの不心得者が捨てているのかも知れない。

ゴミステーションは毎朝それぞれの地区で委託されている住民の美化委員がチェックしたり掃除したりしているようなのだが、そこで目に余るものは区長に連絡しているようで、それで区長が注意放送をしていたということらしい。汚れたゴミを長時間放置しないためだと思われるが、ゴミは該当日の朝8時30分までに出すことになっている。その時間が過ぎたころ収集車が来る。そのときその日の収集対象でないゴミは収集されない。だから誤って出されたゴミはそのまま放置状態になる。それを防ぐためにも注意放送があるわけだが、その注意が効かないことが多々あるようである。大体朝放送されるが、夕刻にも放送があったりそれが連日になることもあった。

多分、いくら放送しても、そのときはもう仕事か何かで家あるいは集落を離れていて、あるいは帰宅が遅くて聞いていない可能性がある。そして外部からの不心得者でなければ、ルールが周知されていないままの可能性がある。集落の注意放送が聞かれていないのであれば、町で一括放送すればどこかにいる間違ったゴミ捨てをするひとに伝わるかも知れない。それで集落放送から町の一括放送にすることにしたのかも知れない。

それでも伝わらないようであれば、手紙か電話あるいは訪問で注意を伝えるしかない気がする。ところが誰に伝えればよいか分からない。そこで思うのだが、よくテレビで見る動物の行動観察で使用されている察知したら撮影する監視カメラを区で1台購入しておいて、注意放送で改善されない場合は当該ゴミステーションに臨時に取り付ける。それでルールを知らなそうな人物を特定し丁重に手紙か電話あるいは訪問で注意するということにしたらどうかなという気がしている。

やる前に警察などに相談してみないとやってよいのか分からないが、やって構わないならばわが家のある区では毎月区報が町報とともに配られるので、そういうことをする場合があることを区民に区報で周知しておけばよいと思われる。こんなことをしたりされたりするのは嫌なことだが、しょっちゅう注意放送があったときに何でちゃんとしないのかと聞いていて嫌になって変な発想をしてしまったことである。

補足: ゴミ捨て時間は多少の融通性は必要
ゴミは該当日に朝8時30分までに出すことになっているが、私は朝ではちょっと大変そうなときは前日の夜に出したことがある。例えば天気予報で大雨のときである。かつて大雨の中ごみを捨てに行ったのだが、車からゴミステーションにゴミを運ぶ間にびしょぬれになってしまったことがある。そういうことにならないよう前日夜まだ雨が弱いときに捨てるくらいは大目に見てほしいと思っている。実際そうしてくれていると思われ、夜に捨てたと注意放送されたことはない。また夜勤のひとなどは前日の出勤前に捨てることは許されて当然かという気がしている。ゴミは該当日に朝8時30分までに出すというのは原則で若干の融通性はあると私は解釈している。



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屋久島生活の断片・偏見ご免のたわごと編:
  No.73  ごみステーションのこと  [2001(H13).10.15]


本ブログは、屋久島移住5年くらいして始めたHP:「My logbook:屋久島生活の断片」(2000.05~2010.05)と、そのあとを引き継ぎいまに至るHP:「My logbook:屋久島方丈記」(2010.06~)における「日誌編」や「偏見ご免のたわごと編」の中から、最新記事あるいは最近の出来事で思い出した過去記事と、その関連記事を紹介しています。
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