2014年9月29日の「屋久島方丈記・日誌編:No.245」の記事です。

9月の初めころだったと思うがある新聞の文化欄に、折り紙の博士というひとの寄稿文があった。ばらの折り紙の発明で有名な人だそうである。その記事を見て、そこに紹介のDVD付ばらの折り紙の本を購入したくなってしまった。早速ネットで調べ注文することにした。そして同時に手軽に出来そうでいろいろな種類が載っている同じ著者の折り紙本と合わせ注文した。

本が来るまでの間に、むかし孫が小さかったころ家に来たら一緒にやったら良いのではと思って買った子どもとその親向け折り紙入門のような本のことを思い出し、本棚から探しだした。当時、孫は興味を示さなかったようで開いた形跡もなかった。そこでその本に出ていて自分でも折ってみたい好みに合うものを折ってみた。かぶと、かざりかぶと、しゅりけん、つる、ふうせん、あやめである。かぶとやしゅりけんは作った子どものころを思い出す。ふうせんとつるは教養的な折り紙という印象である。あやめは載っていた花の折り紙の中では一番自分の好みにあったかたちだった。




そうこうするうちに注文した本が来た。ばらの本は新聞で紹介されたからか注文殺到しているらしく納期は未定で、簡単なものから難しいものまで百数十種くらいを網羅した折り紙紹介本だけが来た。その中にばらも一つ載っていたが、見たら工程が私には複雑過ぎる感じがし、ばら自体にもあまり魅力を感じないので、未納のばらの折り紙本はキャンセルした。私は工学的なかたちのものとかシンプルな折り方でかたちがすっきりして美しいと思えるものに惹かれるようである。届いた本には、先述の入門折り紙本と基礎的なあるいは伝承的なものでダブルところもあるが、持続的趣味ではないちょっと体験志望の私にはこのくらいで十分である。いまのところその本で折ったのは、つばめとスペースシャトルとステルス戦闘機、長かぶとである。そのくらいしか興味がわかなかった。

商売で折り紙製品を作るとかあるいは折り紙で芸術作品を作るというひとは腕を磨きながら同じものでも毎日のように折るのだろうが、指を使うので面白ければ老化防止にやってみようかというくらいの気持ちの私は、同じものを本を真似て何回も折るというのに面白味を感じないし、あまり複雑なものはご免という気持ちが先に立つ。継続的に折り紙をやっても私は楽しめない人間のようである。創作に面白みがあるのかも知れないが、自分に創作する能力があるとは思えず、また意欲もまったく湧かないからこれで折り紙体験はお終いである。亡くなった父がかつてケアサービスで折り紙をしたかどうか知らないが、私がそういう境遇になり折り紙をする機会がやって来たら、指を使う老化防止作業あるいはリハビリとしてやることはやるだろうが、あまり楽しいとは思わない気がする。


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